『偽証法廷』『ウツボカズラの夢』『社会を変えるには』『司馬遼太郎覚書』

 随分本のことを書かないでいた。紹介したい本がないわけではなく、単にサボっていただけです。新たな本を読んで紹介しようと思っても、先に読んで紹介し忘れている、と思う本があったのでは、次にいけないので、簡単になると思いますが、書いておきます。
 まず『偽証法廷』(小杉健治)です。小杉健治は『境界殺人事件』『正義を測れ』を読んだのが最初で、そのきっかけはこれらの小説の主人公が土地家屋調査士であったからです。私の仕事に近いから読んでみようと思ったのです。
 これらは舞台設定とアイデア(土地の境界をめぐる事件)は面白いけれども、しかし文体がどうも稚拙という風に感じました。
 その後、推理小説だけではなく時代小説にも手を広げていますが、調べてみるとたくさんの小説を書いています。そこそこ賞ももらっています。
 この『偽証法廷』は1998年で比較的初期ですから文章はぎこちない感じです。でも惹かれるものを持っているのです。そこが不思議です。下手(プロの作家に向かって失礼)でも魅力を感じてしまうのです。
 話は、刑事が殺人現場に落ちていたライターが幼馴染のものであったことから黙って持ち帰り、それから全てゆがんできて法廷で偽証をするまでになる、という話ですが、真犯人である殺人者が、その幼馴染の息子であり、その母親、幼馴染の妻に恋心もあったという、複雑な関係が、けっこう巧に表されます。
 面白いのですが、やはり文章は下手です。その点は宮部みゆきに及ばないのですが、惹かれます。
 『ウツボカズラの夢』は、最近の私のお気に入りの乃南アサです。彼女は『凍える牙』の音道貴子シリーズが最高ですが、時々このようなたわいもない小説も書いているようです。それだけ。
 ストーリーを簡単に言っておきます。田舎から遠縁の親戚を頼って東京に出てきた少女が、その家の主に納まってしまう成功譚です。
 いよいよ今回の本命『社会を変えるには』(小熊英二)ですが、それほど面白い本ではありません。しかし現在、現代に対して真摯に向き合っているから感動的です。新書版で500頁を超える大部で、それにしたら割とスムーズに読み通しました。
 「日本社会はいまどこにいるのか」「社会運動の変遷」「戦後日本の社会運動」「民主主義とは」「近代自由民主主義とその限界」「異なるあり方への思索」「社会を変えるには」というような章立てになっています。
 [3.11]後全国各地で、これまでの労働組合や政党が主導するデモとは違うデモが広がっています。これは『絶望の国の幸福な若者たち』(次回に紹介する予定)にも出てきます。確かに今はメーデーのデモもつまらなくなっています。それと違って、楽しいというか、参加者が自由に自分の言いたいことを言う、それが「保守」「革新」を問わず生まれています。
 そういう変化が生まれているけれども、今夏の総選挙に見られたように自民党が圧倒的多数の議席を占め、比例区でも保守系が多数を占める状況です。そういう現実を踏まえて読む価値があります。
 戦後のさまざまな「社会を帰る運動」を総括して、民主主義の思想と制度を世界に視野を広げて検討します。
 そして最後の章で、現代日本のについて分析し、その社会を変えると言うことをテーマに書いています。現代日本で多数が共有している問題意識は「自分がないがしろにされている」という感覚であるといいます。
 「格差」というものも、その批判の対象が年収10億円という金持ちよりも正社員や公務員になっており、「自分がないがしろにされている」という感覚の表現である、といいます。
 この共有感覚を足場に、対話と参加によって社会構造を変えて行こうと、いろいろと事例も出して検討します。
 そして結びの言葉は「社会を変えるには、あなたが変わること。あなたが変わるには、あなたが動くこと」となっています。
 そして一番面白いのは『司馬遼太郎覚書』(辻井喬)です。
 副題は「『坂の上の雲』のことなど」です。辻井さんがこの本を書くきっかけとなったのは、新船海三郎氏の論文「司馬遼太郎にとっての『坂の上の雲』」を読んだことだといいます。この本は、それに触発された辻井さんが新船氏に、文学批評や司馬遼太郎について、いろいろと問いただすような対話から生まれたものです。
 それはテレビの「坂の上の雲」を契機に、ふたたび「国民作家」司馬遼太郎について、様々な論評がなされ、「『坂の上の雲』が多くの歴史家の批判を受けていること」について、辻井さんが違和感を持っていたことがあります。
 一般的には「坂の上の雲」は人気が有り、それについて司馬遼太郎自身が、明治という時代、日露戦争に「勝利」した日本の過大評価を嫌っていた、そのために映像化されることを忌避していたということが知られています。
 それを知った上で、歴史家たちが小説で描かれる「司馬史観」を批判していることについて「文学作品の内部に入っていかないのは本当の批評ではない」と辻井さんは考えていました。その辻井さんは、新船さんの論文は作者の内面にはいっていて、司馬遼太郎のテーマ「日本とは何か、日本人とはどういう人間か」を鮮明にしていると感じ取ったようです。

 
私もかなりスリリングな刺激を受けた。
 
 私も
(続く)