『音楽劇 わが町』

 14日神戸演劇鑑賞会の4月例会です。
 ところどころに合唱、独唱が入り見ていて楽しい芝居でした。しかしどうもしっくりこない芝居です。ほとんど舞台装置、大道具、小道具、背景等がない芝居ですが、それは十分な台詞回しと「進行係」の説明でわかるのです。
 話の筋はきわめて簡単で、幼馴染の隣同士が結婚して、子どもをもうけて・・・、という芝居です。でもわからないのです。

 簡単に言えば、何を言おうとしているのか、私にはよくわからないのです。機関誌を読んでもわかりません。
 この町の名はニューハンプシャー州ローヴァーズ・コーナーズ。北緯42度40分、西経70度37分。1901年5月7日、時は日の出の少し前。といっています。それを「極端な特定性」といい、ここにしかないことを表現しているといっています。
 果たしてそうでしょうか。私はそんな地名も、その時間に何があったのかピンときません。日本であるのなら、ある程度の予測はつきますが、この「特定性」からは、米国東部の田舎町、20世紀になったという時代です。それ以上はわかりません。主役のジョージとエミリもごく普通のアメリカ人であり彼らの家族、父も母も平凡です。そして大きな事件もなく子供を生んで育てて、死んでいく人生です。
 おそらく、そんな平凡な人生にこそ、人間の生きる悦びがある、多くの「わが町」の人々とともに暮らすことこそが、生きるということだ、というような感じに受け止めます。
 なんだか「男はつらいよ」に出てくる人生観です。私もそれが嫌いではありません。
 でも時代や土地の特定性とは、その特徴を簡単にでも描くことで伝わると思うのです。そういう特異点を明示して、そこで平凡に生きる人生であってこそ、その平凡の価値が輝くように思うのですが。
 現代日本とこの「わが町」の違いを感じることが出来ないと、この芝居の面白さは出ないように思いました。