本質をそらす罪

[朝日]の「従軍慰安婦」、福島原発事故の「吉田調書」の誤報、「池上論文」掲載拒否が、ジャーナリズム、新聞や雑誌に大きな波紋を広げています。[讀賣]や反動的週刊誌雑誌等は大々的に[朝日]を叩いています。
そのことで、従軍慰安婦問題、原発問題の本質が隠されているように思います。あるいは解釈改憲集団的自衛権などが、本質的な議論を深めるべきところが、歪められるような感じです。
[朝日]は歴史修正主義者が大手を振って、彼らの欺瞞的な歴史観を主張をしています。
色々と言いたいことはありますが、今日は「吉田調書」を読んだ一番問題だと思ったことを書きます。
安全神話」の恐ろしさ
吉田さんは、原発事故を何とか、この程度に食い止めましたから、きっと勇気のある立派な人だと思います。しかし「安全神話」にどっぷりとつかっています。
地震津波の想定に対して次のように答えました。
マグニチュード9が来るといった人は、今回の地震までいない。何で考慮しなかったと言うなら、全国の原発は地形に関係なく、15mの津波が来るということで設計し直せと同じ」
「東日本壊滅」まで考えた事故、それが「幸運」にもそれほどの被害にならなかった、しかし今でも収束のめどが絶たないような事故が現実にあるにもかかわらず、想定が甘かったと思わないのです。
しかも東日本全体に及ぶ地震による被害を引き合いに出し「こちらに言うならあっちも言え」と言っています。
絶対に起こらないと言ってきた原発事故、そしてその被害は、大震災の被害とは異質なものと思います。ですが、彼にはその区別がつかないのです。
安全神話」に囚われている限り反省と言うものは、ないのでしょう。