『父と暮らせば』

神戸演劇鑑賞会7月例会『父と暮らせば』の運営サークルに入っています。例によって会報係りになり、下記のような原稿を書きました。会報に載るのはもっと短く洗練された文章になります。
映画を思い出しながら戯曲を読み、こんなことを伝えたいのでは、と思いました。
「父と暮らせば」のメッセージ
はじめに
 2012年「樫の木坂四姉妹」2013年「夢千代日記」2014年「イノセント・ピープル」と運営サークルを担当して、会報に原稿を書いてきました。「父と暮らせば」も原爆に向き合った芝居と思っていましたが、よく読み返していくと、これはこれまでの3作品とは一味も二味も違います。
 原爆と放射能の恐ろしさ、戦争の加害と被害、あるいは歴史認識に係ることを直接的に描くものにはなっていません。
戦争と原爆に打ちのめされた一人の女性の、ささやかな胸のときめきを丁寧に描くことを通じて、人間再生の力強さを謳いあげた芝居です。
ときめきから胴体が、ため息から手足が、願いから心臓が
 人生には悩みがつきものです。自分の人生だから自分で判断しないといけませんが、時には相談する相手がほしくなります。気軽に正直に自分の気持ちを打ち明けられる人がいれば、どんなにか気が楽になり、日々の暮らしに安らぎと潤いが生まれると思います。
相談相手になるのは、誰でしょう。配偶者、恋人、父や母、兄弟姉妹、そして友人先輩など身近な自分のことをよく知っている人、信頼できる人になります。あるいは占いと言う手段を使って相談する場合や、法制度等が絡むときは弁護士など専門家に相談します。相談と深刻ぶらなくとも、愚痴をこぼす相手といっても十分です。
中でも心の悩み、特に恋愛となると誰に相談するのだろう、と考えました。
『父と暮らせば』では、恋のときめきを感じた美津江の前に、原爆の犠牲になったおとったん、竹造が現れます。
なぜ父が、と思いましたが、竹造は見事に彼女の心の瘡蓋を一枚一枚はがしていきます。他人どころか自分でも見ようとしなかった美津江自身の、戦争と原爆によって深く傷ついた心の奥底へと、一歩一歩降りていきました。やがて終盤で彼女が父を呼び寄せた理由が明らかになります。
竹造は、生きたいと願いながらも迷路をさまよう彼女の心、8月6日に高熱であぶられ歪められ、固く閉ざされた心を、解きほぐすために、叱咤激励し、慰める言葉を紡ぎだします。
あよなむごい別れがまこと何万もあった
 戦争や大災害で生き残った人たちから、生き残ったことに対する罪悪感を強く感じていることを聞きます。阪神淡路大震災でも、東日本大震災でも、そういう苦しみを持つ人がいました。
元来、人間だけではなく、生物は生きること、生き続けることに無上の喜びを感じるものだと思います。そして子孫を残したい、と言う本能があります。
 昨日まで一緒に泣き笑い、はげまし助け合ってきた大勢の友人たちの、あまりにも悲惨な死に直面すると、それを免れたわが身を喜ぶどころか、深い悲しみに囚われます。死んだ人が可哀そうだ、生きている自分の身代わりになった、と言う思いから、自分が幸せになっていいわけがない、竹造の言う「うしろめとうて申し訳ない病」に侵されます。
 美津江は一人で生きてきた3年間の苦しみを「世間からはよう姿を消そう思うとります」と吐露します。
そんな彼女に「おまいはわしによって生かされとる」と竹造からの言葉が、霧を吹き払う朝風となります。
むごい別れは忘れることは出来ないけれども、それを胸に抱き、顔をあげて生きる勇気を美津江に与えました。おそらく、彼女は木下さんに自分の心のうちを少しずつ伝えながら、「生かされている」思いを共有していくだろう、と思いました。