映画サークル『おやすみなさいを言いたくて』

市民映画劇場11月例会は『おやすみなさいを言いたくて』です。解説は神戸映画サークル協議会のHPに出していますので、是非読んでください。
女性フォトジャーナリストを主人公にした映画で、男と女、母と娘の関係を描きます。
http://kobe-eisa.com/
ジェンダー
なぜ「女性」とつけるのか。それはフォトジャーナリストが、従来のジェンダーから言えば女性の仕事ではないから、私も思わずそう使います。
誰も女性看護婦とか、女性産婆とは言いません。
この映画は、そのことを強調するものではありませんが、必然的に考えさせられます。

志葉玲さん
神戸在住のフォトジャーナリスト、志葉玲さんに来ていただいて「戦場ジャーナリストの仕事」という話をしていただきます。
日時:11月13日(金)19時〜20時30分、場所:グストハウスギャラリー(映画サークル事務所の地下ホール)、参加費:会員500円、一般1000円
この映画の背景を書きましたので、ここに載せておきます。
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「おやすみなさいを言いたくて」の背景
 レベッカの仕事は、紛争地を撮る報道カメラマンです。この映画では、彼女はアフガニスタンタリバンケニアの難民キャンプを取材します。
「背景」では報道カメラマンとはどのような仕事か、そして二つの紛争地はどんな所か、調べてみました。
報道カメラマン
フォトジャーナリズム
日本の代表的なフォトジャーナリズムに月刊誌「DAYS JAPAN」(いつも例会場のロビーに置いています)があります。その紙面を飾る活躍をしているのが報道カメラマンです。彼らは総合月刊誌、週刊誌のグラビアやテレビの報道番組に写真、ビデオを提供しています。
 その内容は、戦争の悲劇、公害・地球環境の破壊、人権侵害、様々な人々の闘いなど、地球全体と人間生活に係る写真です。映像的な事実、決定的な瞬間、そして奇妙な視点からの映像などが掲載されています。
 報道カメラマンたちは、こういう現場に立ち会っているのです。その中でも戦争を取り扱う戦場カメラマンは、戦場、紛争地に赴き命の危険を抱えながら仕事をしています。
 彼らは、大手メディアに席を置いている人もいますが、日本では、そこで働いた後で、自ら小さな制作会社を立ち上げた人、そして最初からフリーランスの人も多くいます。
 独立系制作会社としては日本電波ニュース会社、アジアプレス・インターナショナル、ジャパンプレス、APF通信社等、そしてフリーランスのネットワークとして日本ビジュアル・ジャーナリスト協会があります。
 日本人の戦場カメラマンは、ベトナム戦争で活躍した沢田教一一ノ瀬泰造、岡村昭彦、石川文洋等を先駆者として、橋田信介長倉洋海宮嶋茂樹、原田浩司、桃井和馬加藤健次郎、そして大石芳野、古居みずえ、シリアで亡くなった山本美香など女性もいます。
 『バビロンの陽光』学習会に来ていただいた西谷文和さんや今月の志葉玲さんもその一人です。
戦場カメラマン
 レベッカは、すでに評価を得ている戦場カメラマンです。
 子どもに「なぜこの仕事をしているの」と聞かれた時に、彼女は戦争に対する「怒り」だと答えます。「ここでこんなひどいことが行われている、そのことを世界の人は知らない。だったら私が知らせる」そういう使命感を持っています。
 彼女の動機は、国際社会、人間社会に対する批判です。映画『戦場のフォトグラファ−』のジェームズ・ナクトウェイも戦場の「恐怖と不合理と残虐性」を伝えると言っています。
しかし戦場カメラマンとなる動機は人によって違います。冒険心と好奇心の延長で紛争地に向かう人もいれば、単純に戦場に行きたいという、個人的な生き方から、危険に飛び込んでいく人もいます。あるいは歴史の瞬間に立ち会いたい、歴史の現場を見たい、世界の新聞の一面を飾りたい、という野心から踏み込んでいく人もいます。
 ベトナム戦争の写真集でピューリッツアー賞をとった酒井淑夫は「戦場カメラマンには戦争の背景だけを撮るだけで満足するウォー・フォトグラファーと戦闘そのものまで撮るコンバット・フォトグラファーがある。女、金、名誉、戦場にはこの条件を満たしてくれる何かがある」といっています。
 ですから彼らに対する評価も様々です。他人の不幸に群がることから、自嘲的に「糞バエ」という言い方、「人間である前にカメラマンでありたい」と公言する人もいます。
その一方で、九〇年代から世界各地の戦場を撮り、多くの「死」を見てきた村田信一は、戦争写真を撮らなくなりました。二一世紀になって写真が「死を冒涜し、戦争のリアルさを伝えていない」という思いを強くし「人間が見ていないものを映しうる」写真の可能性を追求し始めました。
 戦争全体ではなく「僕が見た戦争はこうです」と一面を伝えるだけでいいと言う考え方もあります。
 戦場、紛争地を伝える多くの映像が戦争を収束させる世論、戦争を防止する世論を作ることが出来る、と私も思います。
こういった作品のギャラは、大手週刊誌1頁4〜5万円、マイナー雑誌1頁2万円以下、キー局の報道番組一〇分で百万〜2百万、素材提供50万円〜60万円です。 
タリバン
 タリバンと言えば、最年少でノーベル平和賞を受けたマララ・ユスフザイさんを銃撃したイスラム過激派です。それはパキスタンの組織で、この映画に出てくるのはアフガニスタンです。両者は組織的には別ですが、「教義」は似ています。女性の人格を認めず、命を産む性を「道具」として使っています。
タリバンとはアラビア語で「神学生」という意味です。
一九七九年、旧ソ連アフガニスタンに軍事侵攻し、約一〇年の戦争の後、撤退します。その時期にパキスタンに逃げてきたアフガニスタン難民の若者たちを、イスラム原理主義運動デオバンド派が軍事的、神学的な教育を施した戦闘集団をタリバンと呼びました。
ソ連と戦い、それを追い払ったムジャーヒディン(聖戦士、ゲリラ勢力の総称)たちは、統一した政府を作ることが出来ず、アフガニスタンは内戦状態となります。
その内戦を、パキスタンから資金や近代兵器の支援を受けたタリバンが勝ち抜き、一九九六年〜二〇〇一年にかけて国内の大部分を実効支配して「アフガニスタン・イスラム首長国」を樹立します。
タリバンは、イスラム教の戒律を極端に厳しく適用する「原理主義」政策により、服装の規制、音楽や写真、娯楽、女子への教育等の禁止を強制します。そのため国民の支持を失っていきます。
その頃、ビンラディンひきいる国際テロ組織アルカーイダがスーダンから追われてアフガニスタンに活動拠点を置きます。
そしてアルカーイダは二〇〇一年九月十一日アメリ同時多発テロを起こします。米国はタリバン政権にビンラディンの引渡しを要求し、タリバンはこれを拒否します。
二〇〇一年一〇月米軍とNATO軍は、タリバン打倒とビンラディンを捕らえるために、アフガニスタンに侵攻します。そして北部同盟タリバンに対抗する勢力)と一緒にタリバンを倒し、二〇〇四年一〇月「アフガニスタン・イスラム共和国」が成立します。
しかし、その後もタリバン武装勢力による内戦状態が続きます。米国は二〇一六年末までにアフガニスタンから撤収する方針を決めていますが、「自爆テロ」等、紛争は続いています。
ケニア難民キャンプ
 ケニアはアフリカの中でも内紛の少ない安定した国家であることから、周辺の紛争国からの難民受入国になっています。映画ではレベッカ達がどこの難民キャンプに行ったのかは不明ですが、ケニアにある大きな難民キャンプ2箇所を紹介します。
 一つはダダーグ難民キャンプで、ケニアの北東側ソマリア国境80kmにあり人口46万人と言う世界最大級の難民キャンプです。ここはソマリア内戦が激しくなった一九九一年に開設され、難民の97%がソマリア人です。
 もう一つは北西側南スーダン国境一〇〇kmにあり人口8万5千人です。スーダン内戦の難民受け入れで一九九二年に開設されました。その後、南スーダン内戦もあり、他の周辺国の暴力事件などから逃げてきた難民を受け入れています。スーダンソマリアエチオピア等多くの国の人々が暮らしています。
いずれも国連高等弁務官事務所を中心にNGO組織によって管理運営されています。(Q)
参考文献「戦場カメラマンという仕事」洋泉社MOOK/「『イスラム』ココがわからない」中東問題研究会/国連高等弁務官事務所ニュース