2月例会『グット・ライ〜やさしい嘘』

今週末の金曜日土曜日19日20日が映画サークルの例会です。西神NT九条の会など色々な集会とぶつかっています。
色々と忙しい時期ですが、例会参加もよろしくお願いします。
この例会以降、新年度の会員の更新受付を開始します。来年度は「サポート会員制度」を新設しました。
これは基本会費と毎月の例会費1年分を先払い(13000円)していただく制度です。会費を映画代としてではなく映画サークルを支えていただく費用として払っていただきたいという思いです。
是非、ご協力ください。
サポート会員が400人を超えるようになれば、映画サークルの活動はかなり安定します。上映できる作品も広がっていきます。
私は2月の担当ですから、作品の背景を描きました。以下に載せておきます。
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難民問題を考える
はじめに
 ISが起こしたパリの「無差別テロ」、その報復としての有志連合の空爆等の激化という、シリアの「内戦」は、世界の様相をすっかり変えています。
一つは難民の急激な増加です。連日のように海を渡る難民の姿が報道されています。シリアでは二二〇〇万人の国民の内、四〇〇万人が国外へ脱出し、七六〇万人が国内の避難民になる状況です。めざす先の多くはトルコと欧州です。
そしてテロの脅威が世界中に広がっています。地理的にも歴史的にも中近東の混乱に深い関係を持つ欧州諸国に危機感を覚えさせました。日本でもジャーナリストの殺害等があり、駅等に貼ってある「テロ」と言う文字が目を引きます。
 移民の国、米国では共和党の大統領候補が「イスラム教徒の入国禁止」発言が人気を得るという異常な現象が生じています。約三〇人の州知事がシリア難民受け入れ反対を表明しました。
しかしオバマ大統領は「難民の多くはテロの被害者で、そこから逃れようとしている。彼らの目前で扉を閉ざすことは、我々の価値観を裏切ることになる」と述べました。
『グッド・ライ〜いちばんやさしい嘘』は、このオバマ大統領の言葉に沿った米国を描きました。
この映画の背景として、米国の難民支援制度とスーダン内戦を調べ、現在の難民問題を考えてみました。
米国の難民対策
 米国の現行の難民受け入れシステムは、難民法(一九八〇年)に準拠する「米国難民受け入れ事業」によります。年間平均八万六千人(一九八〇年〜二〇〇四年)、一九七五年〜二〇〇四年までで二五六万人を受け入れています。
 この人数は、移民によって作られた国に相応しいものです。
しかし米国の難民政策は人道的支援というよりも、外交的政治的に重要な役割を担ってきました。
最初の法制度である避難民法(一九四八年)は第二次世界大戦後共産圏に戻ることを拒んだ百万人以上の東欧出身者への救済措置として制定されました。その後、ソ連ハンガリー侵攻時の難民に対応する制度も作っています。
そしてベトナム戦争終結時(一九七五年)に大量に発生したインドシナ難民に対応するために、これらを抜本的に見直し、より長期的包括的な枠組みを検討した現在の難民法が制定されました。
米国の難民受け入れは二通りあります。①第三国定住プログラム(国外に居る人間を受け入れる)と、②国内庇護審査プログラム(すでに米国内に居ながら庇護を求める)です。
ここでは、映画が描く①の内容を紹介します。
その特徴は「年間受け入れ上限数の設定」「3つ(国連高等弁務官事務所や在外の米大使館等の選定、国務省指定のグループ、家族呼び寄せ)に分けた対象と窓口」「実務はNGO、州政府との積極的な連携」があります。必要な費用は連邦政府が負担(二〇〇五年度は六億七千万ドル)し、国務省自治体がNGOと契約して、その地域組織の職員が、実際のサービスを支給します。
映画は、NGO職員と難民たちの触れ合いを詳しく描きます。
入国直後三〇日間の支援として、空港への出迎え、住居の確保、日用品の準備、交通手段や通訳の手配、生活オリエンテーションの実施、健康診断や学校、社会保障、医療扶助食料券取得等公的手続きの援助を行います。
一人当たり八百ドルの予算が割り当てられ、その半分以上が難民に直接支給されます。
中長期的には生活支援(低所得者には財政支援、医療費補助など)を行います。最大の目的は雇用の確保です。そのためにNGOは言語教育等の就労支援プログラムを組みます。
この事業によって、多くの難民たちが新たな人生を送っているようです。
昨年十一月朝日新聞に「難民で再生する町―支援三〇年 米ニューヨーク州ユティカ」という記事が載りました。ユティカという町は人口約六万二千人のうち六分の一が難民やその家族です。彼らによって人口減少に歯止めがかけられ企業進出など活性化につながっている、と報道されました。
スーダンの内戦
 スーダンの北部は、エジプトの南に隣接するナイル川上流域のヌビア地域です。そこは古代エジプト文明の強い影響を受け、紀元前二二〇〇年頃からクシュ文明が発達しました。今でもエジプトよりも多くのピラミッドが残っています。
 その後キリスト教の国やイスラム教の国が作られ、一八九九年にエジプトと英国の植民地とされます。その時、支配政策として南北分断統治が行われました。
北部はアラブ系ムスリムが多く、南部はアフリカ系非ムスリムが多く住んでいましたが、そこに楔が打ち込まれました。
 一九五六年スーダン共和国として独立します。しかしその直前から第一次内戦(十七年間)が勃発し、さらに八三年から第二次内戦(二一年間)と、南北地域が戦いを繰り返す血塗られた歴史を持っています。
二一世紀までに二百万人以上が死亡し、四百万人が家を追われ、約八〇万人が難民となりました。
アフリカ一の面積を持つ国で、多くの部族が混在し、民族、宗教、文化が違うにもかかわらず一つの国にしたことや、石油など豊かな地下資源をめぐっての争いがあるようです。
 この映画は一九八〇年代〜二〇世紀末のスーダンですが、その後二〇一一年七月九日に南スーダン共和国が分離独立します。しかし戦火は続いています。
 この様な戦火を逃れてケニアのカクマ難民キャンプに、この映画の少年少女はやってきたのです。
ここは『おやすみなさいを言いたくて』に出てきた、世界有数の大規模難民キャンプです。
現在の難民問題
難民について「難民の地位に関する条約」(一九五四年)「難民議定書」(一九六七年)は「人種、宗教、国籍、政治的意見やまたは特定の社会集団に属するなどの理由で、自国にいると迫害を受けるかあるいは迫害を受ける恐れがあるために他国に逃れた」人々と定義しています。
現代では、難民とは、政治的な迫害のほか、武力紛争や人権侵害などを逃れるために国境を越えて他国に庇護を求めた人々を指すようになりました。
また、紛争などによって住み慣れた家を追われたが、国内にとどまっているかあるいは国境を越えずに避難生活を送っている「国内避難民」も近年増加しています。
難民の数は、シリア内戦の影響が大きく、二〇一一年から急増し、二〇一四年だけで約一四〇〇万人増えました。
世界の難民の保護と難民問題の解決へ向けた国際的な活動を先導、調整を任務とする、国連難民高等弁務官事務所 (一九五〇年一二月一四日設立)は、設立以来の六〇年以上にわたり、数千万人以上の生活の再建を支援しています。現在、わずか七六八五人の職員が世界約一二五か国で五九四〇万人(二〇一四年末)を支援しています。
そしてこれまでの難民定義に入らない、二〇一一年のソマリア旱魃のように国家や地域社会が崩壊するような大規模自然災害があり、貧困、飢餓ために、そこに留まれば生きていくこと自体が困難である人々が生まれています。
地球温暖化などによる激しい異常気象、大地震などの大地動乱が頻発し、それが最も弱い人々を直撃しています。
さらに新自由経済が跋扈する世界で、国際金融機関や軍産複合体などが利潤を追求することで一握りの富裕層がますます富み、その一方で極貧層が増え続けています。
難民として、そこに手をさしのべる必要があります。(Q)
参考資料:「米国の難民支援状況報告二〇〇五年(アジア福祉教育財団)」/国連難民高等弁務官事務所HP他、インターネット、新聞記事多数