5月例会『明日へ』

韓国映画です。
韓国は、戦後、日本より遅れて経済成長を開始し、先進資本主義国の仲間入りを果たしていますが、国民生活に大きな無理が来ているようです。
新自由主義経済を導入して、経済格差が大きくなっていますし、なによりも韓国の持っていたよき伝統文化、儒教的な家族関係も壊れ始めていると思います。
『明日へ』は、実際にあったスーパーマーケットで働く「オバサン」たちの闘いを映画にしたものですが、庶民の生活感覚に親近感を持ちます。


今月は私の担当で「背景」を書きました。以下に載せます。
解説は映画サークルのHP(http://kobe-eisa.com/)を見てください。
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『明日へ』の背景
軍事独裁、新自由主経済のもとでの闘い
はじめに
 市民映画劇場は映画を通じて世界を見てきました。隣の国、韓国映画は一九九八年の『祝祭』が最初で、その後『太白山脈』や『牛の鈴音』等を上映し、この映画で八本目です。
 韓国に対して、手軽な観光旅行や『冬のソナタ』等の韓流ブームがある一方で、反韓嫌韓本が売れたりしています。最近では慰安婦問題があり、竹島(独島)問題でも国民的感情は対立しています。
日本と韓国の関係を改善するためには、私はお互いの様々な姿をよく見ることだと思っています。少なくとも、明治以降の歴史と現在の政治経済的状況、文化芸術について、相互に情報交換し理解しあうことが大事です。
現代韓国の歴史と現代の情況を調べてみました。
国土面積約一〇万k㎡、人口四九百万人、そして一人当たりGDP三万五千ドル、貧困率十六%は日本と同水準です。労働組合組織率一〇.三%はOECD諸国最低の水準です。
軍事独裁政権
一九四五年、日本の敗戦により朝鮮は植民地から解放されました。しかし連合国軍は朝鮮半島を南北に分断して統治しました。そして同じ民族が殺し合い約三百万人が犠牲となった朝鮮戦争を経て、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)と大韓民国(韓国)として南北分断は固定されました。
韓国は、東西冷戦構造の最前線に位置づけられる反共国家として、米韓同盟を結び、ベトナム戦争へも派兵しています。国内的には李承晩大統領以降、二度の軍事クーデターがあり、朴正煕や全斗煥等の大統領の下、軍事独裁政権を長く続けてきました。
進歩的な野党勢力市民運動、労働運動は弾圧、排除されてきました。
経済的には、米国の援助や六五年の日韓条約にもとづく日本の「経済援助」により、朴政権下で「漢江の奇跡」といわれる重化学工業化を進めます。そして七八年、OECDから新興工業国の一員として位置づけられます。
この時期に、農村人口が七割を超える伝統社会から、都市人口が六割を超える近代社会へと移行しました。
七九年、一八年間も大統領として君臨し、絶対的な権力者と見られていた朴正煕が側近に射殺されるという事件が発生しました。そして軍事クーデターと戒厳令のもと、八〇年、政府の横暴に抗議する市民に対して軍隊が発砲する「光州事件」が引き起こされます。市民一六八人が殺されました。
民主化への大闘争
 光州事件の後、新軍部政権は恐怖政治によって民主化運動や労働運動を弾圧しました。テレビ新聞等の言論、報道機関にも統制をかけ、光州事件を封じ込めました。
しかし八三年末、アジア大会(八六年)ソウル五輪(八八年)をひかえ、全斗煥政権は反政府勢力を宥和する「和合路線」をとります。それによって民主化運動は一気に活気化し、八〇年代は、すべての分野、国民諸階層の民主化勢力と強権政治との激烈な闘いが展開されました。
そのピークである八七年六月、各地で大規模なデモや集会が開催され、六月二六日国民平和大行進には、三四都市と四つの郡で百万人以上が参加しました。
この民衆デモのうねりは「市民社会の自律を担保する制度的な民主主義の実現」を要求し、六月二九日政府はそれを大筋受け入れる「民主化宣言」を出しました。
政府の弾圧で労働者の組織運動は、六月の闘いに参加できませんでしたが、「民主化宣言」後の七月八月に三三一一件一二〇万人が参加する労働争議が起こりました。この時期に新たに二三〇〇もの労働組合が結成されています。
一〇月に民主主義や人権擁護を盛り込んだ第六共和国新憲法が確立され、大統領の直接選挙が実施されました。直後の選挙では軍人出身の盧泰愚が選出されますが、その後は金泳三、金大中など文民大統領となりました。
八八年には中道左派的な論調のハンギョレ新聞が創刊されました。
また戦後の一時期を除いて地方自治は凍結されていましたが、九一年地方議会議員選挙、九五年首長選挙が行われ、地方自治の幕開けとなりました。
新自由主義労働組合
政治や社会は民主化されていきましたが、経済は文民大統領の下で新自由主義政策を推し進め、経済成長とともに貧困層が増大し経済格差が拡大していきました。
軍事独裁政権の下では「開発独裁」といわれる国家主導の経済政策が採られ、財閥大企業を中心に低賃金労働を活用した輸出指向経済が作られていました。九〇年代は、それを土台としてグローバル化に対応する、産業の合理化・競争力強化のための「世界化」が進められます。九七年からの経済危機、IMFの支援がいっそうの新自由主義政策が取られます。
それは日本や英米でおなじみの資本市場の自由化、労働市場の柔軟化、公務の民営化です。二〇〇〇年までに民営化など公共部門の大幅リストラで十三万人以上が削減されました。さらには九五年以降コメなど農産物の市場開放措置もとられました。
金大中盧武鉉と進歩派大統領が二代続き、社会保障制度や社会的就労等という成果も挙げていますが、新自由主義施策も進みました。
一方「民主化宣言」までは、労働者、労働組合の権利も規制されていました。政府が育成した韓国労働組合総連盟(韓国労総)は国家に従属する御用組合でした。
八八年以降、労働争議は吹き上がります。そして「韓国労総」は御用組合を反省し「第二の誕生」方針を出し、民主的労働運動は九五年「民主労総」は結成します。
金大中盧武鉉の時代に民主労総は合法化され、労使政委員会が作られ社会的影響力も大きくなりました。教員や公務員の組合も合法化されました。しかし非正規雇用が増大するという矛盾を抱えていました。
韓国の労働組合の特徴である企業別、正規職員、大企業中心が弱点となって、組織率が低下し、政府や財界に対抗する力が不足していました。それを克服するために、企業別から産業別労働組合へと転換が行われています。
保守反動の時代
進歩的大統領の時代に、貧困層の増大と経済格差が拡大したこともあり、国民は李明博朴槿恵という保守的大統領を選びました。しかし韓国一〇大財閥グループの売り上げが、GDPの三/四(二〇一一年)を占めるという、富の集中がますます進んでいます。労働者間でも賃金上位一〇%と下位一〇%の格差は六倍近くになっています。非正規労働者は約半数となっています。
そして二〇一四年旅客船セウォル号沈没事件は、三一二人が死亡し、その直接の原因や真相究明を巡って、韓国社会の重層的な問題点を浮き彫りにしました。
船の安全検査の許認可、過積載などの規制緩和、船長が真っ先に逃げ出し、船員の多くが非正規、警察と海軍の怠慢、関係官庁と企業との癒着等が指摘されています。
『明日へ』が描いたものは、広く韓国社会に広がっているようです。そしてそれに類似する日本の姿も垣間見えます。(Q)
参考資料:「新・韓国現代史」文京洙/インターネットの情報多数