13回忌

3月27日に母の13回忌の法要を行いました。檀那寺である姫路市余部の徳栄寺さんの本堂をお借りして、兄弟3家族が集まりました。


我が家は浄土真宗本願寺派です。阿弥陀如来をご本尊にしています。こんなことは、法要を主催するまで意識することも憶えようとも思いませんでした。
父と母の法要を重ね、そして他家、他宗派の法要や葬式に何度か参列する中で、仏教と言っても色々やり方は違うな、死生観も儀式に反映されるのかなと思いました。
先週19日に嫁の母の3回忌がありました。嫁の実家は臨済宗大徳寺派、檀那寺は養父市建屋の建興寺です。いわゆる禅宗です。
うちの一族の法要では喪服を着ません。不祝儀ではないのです。死者を弔うと言う儀式ではなく、先祖や阿弥陀さんに見守っていただいている、と言う感謝の儀式のようです。
ところが嫁の家では親戚の人は喪服で集まります。
今は昔
法要は大体午前中に行います。約1時間ちょっと、お経を上げてもらいます。(養父市では、その後、お墓とお寺にお参りして)それから会食する、と言う流れになります。
今回は新舞子ガーデンホテルです。

父が生きている時、祖父や祖母の法要は、家でしていました。その頃は、メインの料理は仕出し屋から取っていましたが、それ以上に家で料理を作っていました。母が中心になって親戚の奥さん方に来ていただいて、煮物やフライもの、サラダ等、ある家ではシャコえびが山のように出てきました。
そしてお酒ですね。昼から暗くなるまで、みんな飲んでいましたね。家も村の中ですから帰る心配もせず、飲んでいました。
今は、車で来るのでお酒は飲まないし、あっさりしたものです。
その後、従兄弟に家を貸してからは、お寺を借りています。
そして今回からは、親戚を呼ばず兄弟だけにしました。簡単で楽チンです。昔、父が死んで法要の主催者になったころは大変なプレッシャを感じていました。よく知らない親戚に連絡することも大変だったし、儀式ですから手順を間違えてないかなど、粗供養を何にするにも気を遣いました。

何度も経験するなかで、気持ちさえきちんと整理してあれば細かいことは臨機応変にやればいいし、多少の失敗は取り戻せることもわかりました。
これも年の功ですね。
それよりも法要をすること、適当な範囲で親戚を集める、これが大事だと思います。
嫁の家の法要では親戚に来ていただいて、昔の話、今のはなしを聞きました。母の法要では兄弟の家庭の近況を聞きました。これがいいのですね。死者の縁で親戚が色々と話をする、話を聞く、それが楽しみです。