『ローマ法王になる日まで』感想

映画サークルの機関誌に標記の映画の、ちょっと長めの感想を書きました。
この映画の担当でしたから5月号に解説記事を書き、上映に際しては2度ほど見ました。映像からいろいろなメッセージを受け取ったので、思うところを書きました。
ここに載せます。読んでみてください。
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教皇の素顔にせまる
科白とワンシーンから
例会学習会でカトリック六甲教会のアルフレド・セゴビア神父の話を聞きました。彼は軍事独裁政権下では高校生であり、後にフランシスコ教皇と一緒に働いています。学習会報告(八月号)にもありますが、その話にはとても現実感がありました。
映画について「とてもよく調べている、殺される神父の名前もあっている」と評価しています。その一方で、映画は軍事独裁権八年間を圧縮して描くので「事件」が頻発しているように見えるが、高校生の生活感覚では「そんなにひどい政治だとは思わなかった」といいます。
例会学習会の話から、映画のワンシーン、一つの科白から当時の市民生活、カトリック教会について、描かれていないことも色々と連想しました。そしてこれがフランシスコ教皇の実像なのか、と感じました。
「良心の命令に従う」「殺されるぞ、いいのか」

 神学校に軍隊が踏み込んできて、暴力的に学生たちを追いたて、彼らが捜索している「反政府活動家」がいないかを調べます。その指揮官はホルヘに「上司の命令は絶対だから」と言い訳がましく言い、仕方がないだろう「教会も同じだろう」と彼に同意を求めます。
それに対し、ホルヘは上司でも神でもなく「良心の命令に従う」と言い放つのです。
 そのとおり立派だ、と思いました。
 しかし立場が変わって、ホルヘが、貧困者の救済活動をしているイエズス会の神父たちに「やめるように」という司教の命令を伝えに行ったとき、やめないと「殺されるぞ」と彼らを脅します。
教会の庇護がなくなれば軍事政権から敵視されている神父たちは殺される危険性が増します。しかしに彼らに向かって「やめろ」と命令することは「良心を捨てろ」ということです。
現代の日本では、はっきり「命令」という形を取らなくても空気を読み、上司の気持ちを推し量る忖度が優秀な部下のとるべき態度となっています。上司が困る事態は避けようとし、それは必然的に弱い立場の者にしわ寄せとなります。
ホルヘは司教の命令と神父たちの間に挟まれて困り果てますが、この時、彼は「良心」ではなく上司の命令に従います。その結果、彼らは除名処分となりました。
「シスターの分際で」「ためにならんぞ」
 教会から除名された神父は拉致され、凄まじい拷問にあいます。一度は彼らを見捨てたとはいえ、ホルヘは大司教に頼み込み、将軍や大統領にまで助命を求めます。
 政府の拷問から解放された二人の神父に会うためにやって来たホルヘに対して、シスターは会わせないと頑張ります。心身ともにずたずたに引き裂かれた二人を見た彼女は、そこへ追いやったホルヘに対して怒りを隠しません。
 ホルヘはイエズス会の代表者であり、教会幹部と交渉する責任者です。にもかかわらず同じイエズス会士として信じる道を突き進んだ二人を裏切ったとみているのです。
 その彼女に対して上から目線で恫喝します。ホルヘの苛立ちが露わになるシーンです。
 ホルヘとしては、彼が出来る範囲のことをやり、ともかく命は救われた、と少し安心して、彼らに会おうと思ったのです。このシスターの態度に大きなショックを受けたに違いありません。ですから思わず地が出たのでしょう。
 その後に「何がほしいか」と手のひらを反して懐柔しようとしますが、映画ではそれ以上突っ込みませんでした。
 これだけで彼が女性蔑視の権威主義者とまでは思いませんが、どちらの立場にも断ち切れない気弱さ、自己保身の人では、と思います。
「アカなの」「ローマにいけば二度と帰れませんよ」
 ブエノスアイレスにもどって補助司教として働き始めたときに、大司教の秘書から「右か左か」と問われます。貧しい者たちの側に立ってモノを言うホルヘを、彼女は「アカ」だと決めつけました。
 軍事政権が破たんし民政が再開されました。メネム大統領の時代、彼は親米派新自由主義路線に従って経済を立て直そうとします。映画では、スラム街を一掃して都市再開発を進める副市長が「一番偉いのは投資家だ」という時代です。
 政府に反抗し貧しい者の側に立つ者をカトリック教会内部でも「アカ」と決めつけるのか、これは世界共通なのだと知りました。
 この時、彼女は国家の側に立っている大司教と同じ考え方でいたと思います。
 そして時は流れて枢機卿となったホルヘに、彼女は、ローマ教皇に選ばれるという意味の「二度と帰れない」と言います。彼を評価しているのです。
 ホルヘは一〇年以上彼女を秘書として置いていたのか、ちょっと驚きます。秘書といえばその上司と一心同体です。こまごまとしたことは指示を受けず報告もせずとも、互いに分かり合えている関係でしょう。事務的な秘書業務を担当してきた、とは思えません。
 以前の大司教とホルヘの考え方は違いますが、彼女は忖度が上手で上司によって考え方を変えて、簡単に合わせることができる人ではないか、と思います。
私はそんな人はちょっと信頼できません。彼女を秘書としてなぜ雇い続けたのか、理解できません。
「結び目を解くマリア」に感化された寛容さ、とは別ではないでしょうか。
市民的な幸福の隣で
警察が不法に捕まえた「拉致被害者の母たち」を乗せた護送車が、結婚式を挙げた若い男女、お祝いのパーティをしている人々の横を通る時、その運転手がお祝いの言葉を投げかけるシーンがありました。
この後、母親たちは飛行機に乗せられて、高空からラプラタ川に投げ捨てられます。平穏な日常の隣に、市民が知らない残虐がありました。
一月例会『ラスト・タンゴ』の主人公たちはホルヘと同時代を生きてきましたが、この映画では軍事政権の恐怖は、まったく出てきませんでした。タンゴ・ダンサーは社会の動きに無関心だったのでしょうか。
セゴビア神父も高校生であって、多くの人が拉致され殺されていることを「知らなかった」と話しますが、それと一致します。
権力の犯罪は、メディアが報道しないと、被害を受けた者とその近親者にしか分からないのかもしれません。民主主義が機能するためには権力から独立したマス・メディアが必要です。
「わたしだけが残った」

 ローマ教皇となったホルヘは、こうつぶやきました。彼が心情的に同志と思っていた人たちは、次々と殺されたのです。
大学生の時代から親しくしていたエステルは、ホルヘの尽力で自分の娘が帰ってきたけれども「拉致被害者の母親」の会の運動に再び加わり、そして殺されました。
彼女もそうですが、独裁政権の時代に命を賭けて闘った人たちは、ホルヘを信頼し友だちとして疑わなかったのです。
フランチェスコ教皇はそういう人なんでしょうね。