『ザ・ウォーター・ウォー』の背景

市民映画劇場の2月例会です。私は機関誌に「背景」を書きましたので、載せておきます。例会は2月15日16日です。上映時間や「解説」は神戸映画サークル協議会のHPをご覧ください。

https://kobe-eisa.com/

命の水を守るために

植民地支配と新自由主義

 二〇一八年十一月の国会で、水道事業の民営化に道を開く法律が成立しました。野党や多くの市民が反対の声をあげましたが、国民に問題の重大さが広がる前に、アベ政権は十分な審議もせずに強行採決しました。将来に禍根を残すものです。

しかし水道民営化に踏み切ろうとしていた浜松市は、反対世論の盛り上がりを受けて結論を先延ばししています。

 『ザ・ウォーター・ウォー』は、過去の欧米列強の植民地支配と、現代の市民生活を大資本に売り渡す新自由主義政策を重ね図にする映画です。

南米ボリビアの大都市コチャバンバであった、一九九九年から二〇〇〇年四月にかけての水道料金高騰に反対する大規模な闘いが盛り上がっている時期に、コロンブスの新大陸発見とその後に続く残酷な植民地支配を描く映画の撮影隊がやってきた、という設定です。 

 

 

ボリビアコチャバンバ

南米大陸の中ほどに位置するボリビアは海に面しない内陸国です。三五〇〇mを超える

アンデス高地、それ以下の年中涼しいアンデス東麓、そして東部平原の北半分はアマゾンの熱帯雨林、南半分はサバンナとなっています。日本の三倍強の国土に住む一一百万人(二〇一七年)の人々は、先住民族が五五%を占め文化や習慣も多様性に満ちています。

二〇〇六年から先住民族出身のモラレス大統領を先頭に、貧富の格差是正先住民族の権利拡大、米国に従属した政治経済の立て直しを進めています。しかし一人当たりのGDPは三四〇〇㌦(二〇一七年)日本の一/一〇分という貧しい国です。

コチャバンバ市はボリビアのほぼ真ん中に位置し、標高は二六〇〇m、気候は年中を通して温暖であることが特徴です。山岳地帯の文化が残り、人も優しくのどかで美しく、フルーツや野菜の栽培が盛んで、ボリビア国内に野菜を出荷しています。

現在の人口は六三万人(二〇一二)ですが、六〇年代から急激に人口が増えて一八万人(一九七六年)五一万人(二〇〇一年)となりました。しかし生活基盤の整備が遅れています。

そのために、この街を悲劇が襲います。

基盤整備の資金を得るためにボリビア政府は世界銀行に融資を申し入れます。その融資条件としてコチャバンバ市の水道事業が民営化されました。

 

コチャバンバの水戦争

コチャバンバは、急激な人口の増加により、市内より少し離れた地域などに水道設備を新たに設置することができず、設備の老朽化や漏水も修復することができない状況でした。

特に乾季の時期には水道水の供給は難しく、町中で断水が見られ、市民の半分程度しか水道サービスを受けることができないという事態が生じています。

 世界銀行の融資条件により、一九九九年ボリビア政府は市営水道局の民営化を決定します。その経営権はアメリカの大手建設会社ベクテル社の子会社であるトゥナリ社に委託されました。

民営化後すぐに水道料金は倍以上に跳ね上がりました。

所得に応じての値上げですが、貧困層に対しては一〇%程度、富裕層の値上げ率は二〇〇%に達しました。ボリビアは貧しい国で、映画でも日当二ドルのエキストラに長蛇の列ができると描いています。当時の国民最低月収が一〇〇ドル程度であったにもかかわらず、その値上げによりひと月の水道料金が二〇ドルを超えるという事態が生じました。

水道料金を支払えない家庭が多発し、自前の井戸水も規制されました。市民の怒りは爆発します。民営化から一年後の二〇〇〇年一月には「水と生活を防衛する市民連合」が結成され、多くの市民による抗議のデモやストライキが起こります。

四月には大々的な抗議行動が起きて軍隊も出動し、ボリビア国内は一時内戦状態となりました。何十人も逮捕され死者九人重傷者一〇〇人を出しました。

この激しい抗議により、ボリビア政府は四月一〇日に民営化を撤回しました。

四〇年間の委託契約は破棄されましたが、インフラを整備した借金は市民に残り、さらにボリビア政府は契約違反で二五百万ドルの賠償金を要求されました。

 コチャバンバでは水道サービスは公営にもどりましたが、年間の雨量の少ない気候ですので、水不足であることに変わりはありません。二週間に一度断水があり、多くの家ではその対策として、家の地下と屋根に大きなタンクを設置して普段から水をためて使うようにして、水不足に対処しています。

 

世界は再公営化に

 二〇一三年四月、麻生副総理は日本の水道事業を「すべて民営化する」と米国で約束しました。これまで国鉄や郵政など国民の生活と財産を、大資本に売り渡す新自由主義政策を進めてきましたが、次は「命の水」の商品化です。

そして五年を経て多国籍企業に売りやすい法制度に変えました。

政府は、水道事業の赤字を大きな理由にしています。老朽化した水道施設の更新に膨大な費用が必要となり、超高齢化と人口減少により事業が縮小(二〇〇〇年の使用量一日三九百万㎥が一四年には三六百万㎥に減少しており、六〇年には二二百万㎥と推計)するといいます。

しかし民営化したからと言って、その事態は変わりません。民営化は公共責任の放棄でしかありません。

他国の事例を見ると、二〇〇〇年から二〇一四年までの間に、三五の国で民営化されていた水道事業が再び公営化された事例は一八〇件にのぼり、このうち一三六件は高所得国でのものでした。

二〇一〇年に公営化に戻したパリ市は、市民参加型経営により水道料金を引き下げ、環境保全などの公共政策も進めています。

民営化では事業経営は健全化せず、水の品質も良くならないことははっきりしています。

経営の苦しい小さな自治体の水道事業を支援し、そこで暮らす市民の命と生活を守るために、国全体で考える時期に来ています。(Q)

参考文献:「ラテンアメリカを知る事典」/「水道の民営化・広域化を考える」尾林芳匡・渡辺卓也/インターネット他