『ロープ 戦場の生命線』の感想

虚しい一日を越えて

和平協定があっても

 原題は『A Perfect Day』。NGO「水と衛生の管理団」職員の「ありふれた」一昼夜を描く映画でした。

 バルカン半島の内戦が、関係する国や組織によって和平協定が結ばれた一九九五年、ボスニア・ヘルツェゴビナの山村で、生活再建を援助するNGOが活動しています。

 山が連なり九十九折りの道が縫うように走っています。樹木の無いはげ山を空からの映像で見せます。こんなところにも戦火は及び、山の斜面に広がる放牧地にも地雷が埋められ、今も残っています。

 戦闘は終結したはずですが、道路には新たな地雷の罠が仕掛けられています。

 そんなところで村人は生活しています。

 そして村で唯一の井戸に死体が投げこまれ、水が使えなくなりました。するとすかさず水を高値で売る人々がやってきます。戦争と金儲けはつながっていると描きます。

 邦題の『ロープ/戦場の生命線』は、その死体を引き上げるロープを探すためにNGO職員が走り回る姿に焦点を当てたものです。

 ロープは色々なところにありましたが、それぞれ理由があって、なかなか入手できない、そんな表現で、今まで仲良く住んでいた隣同士が殺し合った戦争を描きました。

矛盾は大きい

 もはや戦闘地域ではない、和平協定が結ばれて、国連軍が駐留して、民兵などは武装解除して平和な生活を取り戻しているはずです。生活再建を支援する国際的な団体も入っています。でも、ことは簡単に行かないという現実を映画は描きました。

 例会学習会ではもっと大きな背景が紹介されました。

 「民族の自決」という自主独立の原則が、多民族国家であったユーゴスラビア社会主義連邦共和国を崩壊させました。六つの共和国二つの自治州に五つの民族が混ざり合って暮らしていた「モザイク国家」は「民族浄化」で殺戮の場になりました。

 現在のボスニア・ヘルツェゴビナ統治機構は、民族、宗教の対立によって相互不信が根深く埋め込まれています。一つの国でありながら、主要な民族が拒否権を持つ仕組みが作られています。多数決ではなく合意の「民主主義」でお互いが排除しあい、結果的に国民の生活を守る政治が出来ません。

 現在でも和解できないのはなぜか、映画を見ても学習会でも不明です。

命をかけて働く

 こんな環境の中でNGO職員は働いています。「水と衛生」は村人にとって生死に直結する問題ですが、彼らの協力を得ているようには見えません。

 仕事は命がけです。戦闘は収まっていても地雷が仕掛けられています。国連の停戦監視団がいても、武装民兵の検問もあります。

 でも職員は、当たり前のようにいっさいの武器を持たず、村人の中に入っていきます。彼らの心の奥にある行動原理は何なのか、なぜそこで働くのだろう。私にはわかりません。

 私には彼らが心優しき天使とは見えません。傭兵崩れが、まるでデビルがデビルマンへと変身したように、前非を悔いて心底から改心した男たちだと見えます。

 でも天は彼らに優しくなくて、大雨で死体が井戸から浮かび上がり「めでたしめでたし」となったことを、知らせないのです。