『天命の城』の感想

 


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時代を超えて伝わって来たもの

 

過去と現代の対話

 時空を超えた映画でした。舞台は一六三六年の韓国、時代劇映画なのですが、現代韓国を視野に入れた批判をしていると思いますし、どこの国のいつの時代にもあった戦争と平和、支配者と庶民の関係をみごとに描いています。

 ですから、私にとっては現代の日本にも通じるし、戦争を描いているので、戦前の天皇制下の日本が破滅的なアジア太平洋戦争時に突入していった時代の比喩とも見えます。

 「歴史とは、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話」と英国の歴史家E・H・カーは言いましたが、この映画は、軍事独裁政権とその後継者たちから言論の自由表現の自由を勝ち取り、民主主義を模索しようとする現代韓国の情熱が作り出したものだと思いました。

 文在寅政権誕生が2017年5月、映画の公開年2017年10月です。ですからこの映画の企画、製作の大部分は、ドキュメンタリー『共犯者たち』が暴いた、朴槿恵政権下で権力の走狗となってメディアとジャーナリズムを監視し、記者やニュースキャスターたちを排除して言論、思想を巧妙に弾圧した人々のもとで進められました。政権は反体制的な映画人などの文化、芸術家のブラックリストも作成していたといいます。

戦争と庶民

 中国の覇権を明と争っている清が、清より明を選択しようとする朝鮮王に対して屈服を求めて大軍で押し寄せてきた、丙子の役を舞台にしています。

 明に義理立てして、清に抵抗する朝鮮王は山城に立てこもります。しかし清軍に包囲されて絶体絶命の危機です。

 王の御前で重臣たちが議論をします。降伏か抗戦か、どちらを選ぶのか、王や重臣が事態をどのように考え、どのように打開しようとするのか、映画は見せていきます。

 清軍と朝鮮軍の力関係は絶望的です。大多数の重臣たちは、事実を率直に見ようとせずに、無責任に威勢のいいことを言い、王の意向を先取りしたい、気に入られたいと思っているだけだ、と浮き彫りに描きます。彼らには忖度しかありません。

 下級兵士は消耗品の如く使われます。敵の状況や戦いの見通し、目的も示されることなく、ただ戦場で殺し殺されている、と描きます。そして命がけで密書を届けた鍛冶屋を保身のために殺そうとする朝鮮軍幹部に、武人の本質を見せました。

 庶民の心は、彼らを支配する者たちが清だろうと明だろうと、あるいは朝鮮王だろうと誰でもいい、安心して暮らせる日常を求めています。戦いの後の彼らはなんと生き生きしていることか。

何を暗示しているか

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 映画は、清の皇帝ホンタイジを、その映像、その声で朝鮮人たちを超越した存在のように描きました。そして降伏派と抗戦派、真剣にこの戦を考えてきた二人の大臣に、時代の制約を超えた新しい国造りを語らせます。

 それらはこの映画のプロパガンダを感じさせました。

 圧倒的力を持つ侵略者と立ち向かうことの無力さ、朝鮮王の屈辱にまみれた命乞い、国益とか愛国心、名誉などはいかに無意味かと言っているようです。

 そして新たな国づくりを一人は「王と国民がつくる」国というのに対し、もう一人は「王や我々は要らない、庶民がつくる」と答えます。彼がそんな発想を持つのはなぜか、と考えました。

 彼が王に対して命を懸けた抗戦を説いた主旨は、義と名誉でした。そこに統治する者の責任があると考えたのでしょう。しかし清に降伏した後に、その考えは間違いだと気付きます。平穏な暮らしを保障することこそが大事と考えたのでしょう。

 でもこの部分は唐突で生煮えの感がありました。