岩木山
『走れメロスマラソン』を走ることが主目的でしたが、5月24~27日と津軽平野の旅を楽しんできました。
津軽の国に入ると、津軽半島の根元にある岩木山がどこからでも見えます。もちろん飛行機で青森空港に入ってくるときも上空から見えました。大鰐温泉(東側)十三湖(北側)鯵ヶ沢(西側)、弘前(東側)から写真を撮りましたが、少しずつ表情を変えて、本当に綺麗な山です。
以下のように回りました。
24日伊丹空港から青森空港、三内丸山遺跡、青森県立美術館、大鰐温泉泊(不二やホテル)
26日『走れメロスマラソン』、津軽三味線会館、太宰治記念館斜陽館、弘前泊(弘前パークホテル)
この時期は本州最北の地では桜が終わった、さわやかな新緑の季節と思っていました。しかし26日ハーフマラソンを走った日は、北海道で39度を記録し五所川原でも気温30度いう猛暑でした。その他の日はそこまで暑くはありませんでした。
24日
24日空港で昼食、周辺には食べるところがないようです。レンタカー(スズキのスイフト)で、まずは三内丸山遺跡です。
有名な縄文時代(紀元前3900~2200年)の大規模な集落跡地です。ボランティアガイドさんの案内で回りました。スポーツ公園の予定地でしたが、土器や石器のかけらが出てきたことから、遺跡公園として残すことにしたそうです。
竪穴式住居とともに大きな建物が復元してあります。
北東北から北海道にかけて縄文遺跡群が見つかっているようです。古代、この地方は今のような豪雪地帯ではなかったのでしょうね。もっと暮らしよい気候の地であったから縄文人が住んだのでしょう。
三内丸山遺跡の傍にある県立美術館に行きました。
そこには私の好きなシャガールの芝居の舞台背景画がありました。すばらしい。
その日は大鰐温泉に泊まりました。ほどほどの大きさのいい旅館、おいしい料理でした。
25日
25日は大鰐温泉のすぐ南の小高い岡である茶臼山公園に行きました。つつじ祭りということで、全山いろいろな種類のつつじが咲いていました。
そこから一路、レンタカーを走らせて北へ向かい竜飛岬まで行きました。東北自動車道も車は少ないですし、地道になってもトラックなどあまり走っていません。
陸奥湾を見ながら北上していくと空気がちょっと違うように感じます。津軽半島の根元部分では気温25度とか出ていましたが、海辺に出ると風も吹いて20度を切っています。
途中に源義経が平泉から逃げて来たという伝説を持つ義経寺がありました。
そして竜飛岬は強風が吹いています。車のドアの開け閉めが大変、帽子は跳ばされそうになります。
階段の国道339号があり、阿久悠の『津軽海峡冬景色』の歌謡碑もありました。
そして十三湖を見て五所川原に帰ってきて、ここでレンタカーを返しました。JR五能線で鯵ヶ沢へ行きました。
この竜飛岬に至るコースは奥津軽と呼ばれるそうです。観光コースですが確かに北の端に来た感じです。半島を巡る山の道路で2匹のアナグマを見ました。猿もいました。
26日
26日は「走れメロスマラソン」です。五所川原駅から金木小学校へ走りました。少し休んで午後から金木地区にある津軽三味線会館と斜陽館を見て回りました。
この日はハーフマラソンで疲れましたが、津軽三味線の実演を会館と夕食時のレストランと2回も見ました。私の習っているお座敷用三味線と違って力強さとスピードを感じました。三橋美智也は津軽三味線の名手だったそうです。吉幾三のお父さんは民謡の名人で、このあたりの有名人です。
そして街中のポスターや切符に「太宰治生誕110年」が宣伝されています。そう彼は松本清張と同級生だったのです。作家として活動した時期がずれていますから、私は気づきませんでした。
彼の作風からして生誕110年で町興しは似合いません。斜陽館に太宰の生家、生い立ちを紹介したビデオがありましたが、もう少し詳しいものが
ほしいものです。
27日
ホテルから弘前城、そこにある博物館を見て歩きます。あまり時間がなく急ぎ足になりました。
駅前から空港行きのバスに乗って青森空港へ、そして伊丹空港へ一跳びです。プロペラ機でよく揺れたのでゆっくりとは乗っていられませんでした。
料理
(鯵ヶ沢温泉)
(弘前のレストラン)
この旅は、温泉旅館に泊ったのでいい料理でした。そして私の胸算用ではハーフマラソン1/2、観光旅行1/3、夫婦の会話1/6という割合でしたが、観光旅行が予想以上に充実していて概ね達成感はありました。