網干の墓参り

17日、こんどは私の実家、網干区垣内の墓参りに行きました。ついでに近所のお寺・萬福寺と神社・魚吹八幡神社そして、うすくち龍野醤油資料館を回りました。

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父と母が建立した墓です。祖父祖母、祖母の養母、幼くして死んだ父の弟が入っています。萬福寺の墓地にあり、少しずつ墓が増えています。

そして祖父の兄弟たちが建立した曽祖父母の墓です。いわば本家の墓ですね。これを見ると祖父の兄弟が分かります。知らない人もいますし、名前の付け方が変です。長男ではないのに一のつく名前、次男のほかに二のつく名前が複数います。

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魚吹八幡神社の表門です。網干地域一体の氏神です。

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秋祭りには18台の屋台(やったい)4台の壇尻、1台の獅子壇尻、3台の神輿が出ます。宵宮には7か村が提灯練りをします。

門が狭いので、屋台は屋根の飾りをはずして中にはいります。

わが村の壇尻小屋です。

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戦争に関するものがありました。昔から見ているのに、これまで気にも留めていませんでした。

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明治37年の戦利品と書いてありますから日露戦争の時の砲弾です。

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萬福寺の前にある大きな石碑は「御大典記念/当村在郷軍人連名」となっていました。昭和3年昭和天皇即位式を祝うものなのでしょう。昭和5年(1930年)に建てたものです。

70人弱います。わが村は、私がいたころは100戸程度ですが、明治、大正の戦争に行った人がこんなにもいたのです。

龍野へ

たつの市の辺りに在る歴史博物館などを回りたかったのですが、あまり時間がなかったので、醤油資料館だけを見ました。入館料10円です。

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前の通りはこんな感じで、城下町の雰囲気を持っています。電柱がなければよかったのですが、無理な注文です。

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醤油の原料は大豆、麦、塩、米そして鉄分の少ない揖保川の水です。そして大消費地である大阪京都に近いことが、16世紀以降に産業としてこの地で発展しました。

うすくち醤油は米と、それを材料とした甘酒を加えています。これは関西独特のものです。この資料館に北大路魯山人が書いた文書が飾られていて、江戸の料理にうすくち醬油をもっと使えという主旨のことを言っています。

それとうすくちはひらがなが正解だそうです。

このような大樽で仕込んでいたのですが、入れ物としての樽も自前で作っていたのです。

ここのギャラリーで日本画家、山下摩起を展示していました。初めて聞く名ですが、こんな絵です。(鍾馗さまです)

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