30年後の同窓会

標記の映画は神戸映画サークル協議会9月例会で上映しました。その感想を書きましたので、ここに載せます。

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30年後の同窓会

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かくて悪は栄えけり

 

名誉の戦死は

 二〇歳そこそこでは、世の中のことを分かったようで本当のことは何も分かっていない、というのが私の人生を振り返った実感です。その時期に軍隊に行く、戦場に行くとはどういうことか、この映画でも、その残酷さ無謀さはよく描かれています。しかしそれ以上に、米国政府と軍隊の経済的徴兵など人の弱みに付け込んだ謀略的な仕組みがいかに巧みであるか、極めて上手に描いていました。

生きる目的も術も、希望もわからなくなった若者を入隊させて、上官の命令を忠実に実行するように訓練します。なによりも徹底した洗脳教育で人を人と思わずに殺すことが出来る一人前の兵士として作り上げます。

国家の嘘で塗り固めた戦争に追いやられ、凄惨で馬鹿げた戦場で生死をかけて這いずり回り、動く者は女子供であっても容赦なく殺しまくります。悲惨でみっともない死に方であっても、国家のために愛する家族のために働いた英雄として仕立てられます。

 悲嘆にくれる家族は繕われた「真実」を報告されて、虚飾に飾られた言葉と儀礼的で荘厳な葬式に満足するように仕向けられます。

 たとえ嘘であると思っても、真実が死者を冒涜するのであるなら、それを口にすることは許されない、心情的にそのような制約が働くのです。

真実を知る者たちは

 ベトナム戦争をともに戦った三人、それぞれに心の傷を抱えています。退役直前に何か重大な事件、事故があったことが暗示されて、三〇年ぶりにあった時は、一人はアルコール依存症、一人は神父になっていました。もう一人は軍の刑務所に入った後に再び軍に勤めて、家庭を持っていました。

映画は、その男の一人息子がイラク戦争で戦死したため、三人一緒にその遺体を引き取りに行く短い道中を描きました。

彼ら三人が会うと、過去の亡霊が姿を現します。悪夢と同時に「青春の悪ふざけ」も楽しく語り合います。戦場の悲惨さ愚かさが三人の退役軍人たちの経験から明らかにされ、「国を守るため、愛する人のために戦う」という軍と国家の欺瞞的な巧みなレトリックが見事にはがされていきます。

 息子の死も、その真実は哀れなものでした。それをアーリントン墓地担当将校は、有能な宣伝マンとしての役割を発揮して、尊厳をもった葬式を演出しようとします。

彼らはそれを拒否します。故郷の家族の墓地に入れると遺体を持ち帰ります。しかし戦死の状況や、戦場の実態、戦争の目的等を隠してでも、大切な人の死の尊厳を守りたい、という遺族の気持ちは、彼らとて同じです。

大切な息子の死を無駄死にだと思いたくないし、敬意をもって野辺の送りをしてほしいし英霊として祀りたててほしい、というものです。

 そして息子の手紙が父親に手渡されます。兵士が死を覚悟して、家族にあてた手紙を書くという儀式はとても優れています。死者に口なしとして、両親に感謝し悔いなき人生を生きたという、書くべき内容は事例として示されていたことでしょう。

 父も戦友たちも心打たれた、と描きました。

戦争の本質は

 残念ながら、なぜ米国は国民を騙してまでも戦争を起こし、貧しい若者を戦場に連れて行くのか、そこまで踏み込んで描きません。だから米国の戦争は続き、軍事産業の大儲けと貧乏人は兵士になるしかないという社会システムは温存されます。

基地の周辺にある「ディズニーランド」に行く話で三人は大盛り上がりです。青春時代のバカ話ですが、ふと沖縄のことを考えると、無神経に聞き流せないことです。例え心に大きな傷を負い、息子が死んで悲嘆に暮れても、侵略戦争に従軍した兵士の立場です。

あくまでもこの映画はその視点であり、監督はそのことを十分に意識して作っていると思います。そのことが見る人に伝わったのか、老婆心ながら少し不安になりました。