「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」加藤陽子、「戦争経済大国」斉藤貴男

読んだ動機

 

  この3冊を読みました。アジア太平洋戦争の見方が変わり、邦画の戦争ものの批評の目も少し変わりました。

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  読んだ動機は久元神戸市長のブログ(2019年9月22日27日)と、日本維新の会片山虎之助氏が毎日新聞の「蔵書拝見(9月24日)」で「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」をほめているので、この本は何を書いているのか知りたくなったからです。

   私は、この二人を信用していません。その一方で加藤陽子さんは立派な歴史学者だと思っています。実際には彼女の本を読んでいなかったので、彼女が何を書き、それを彼らがどう受け止めたのかを知ろうと思いました。

   久元市長のブログでの片山氏の紹介は、毎日新聞に載った彼の言葉を巧みに引用し、その本質を隠していると思いました。

   ブログは片山氏を「『太平洋戦争を体験した最後の世代』として、こう仰います。『戦争はとにかくしない方がよい。それは私どもの世代の皮膚感覚だ』と。世代を越えて、この感覚を引き継いでいくことは、とても大事ではないでしょうか。」と書いています。

  まるで片山氏が政治家として平和を守っていく固い決意を持っているかのような引用です。しかし片山氏はその前に、「ひょっとしたら『どうしてもやらなければならない戦争』があるかもしれない」といっているのに、この言葉をわざと抜いています。意味が180度変わると、私は思いました。

   片山氏は、憲法9条改憲に賛同する日本維新の会共同代表です。同じ保守政治家ですが「9条を変えるな」と断言する古賀誠自民党幹事長とは、平和を守る決意、考え方がまったく違います。

   戦争をしないことを決意した政治家ではない、その本性を隠すことに手を貸す、こういうのを忖度というのでしょう。

    「必要な」戦争を了とする片山氏は北方領土を戦争して取り返せ、と言った丸山議員と本質は変わりません。久元市長は日本維新の会のイメージアップを助けようとしている、と感じました。

   そして久元市長のブログは「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」の感想として第1次世界大戦後「政党政治の腐敗に対する国民の不信は高まり、軍部に支持が集まっていく過程が鮮やかに描かれていきます」と結んでいます。

   しかし軍部への支持は偽の「改革」に国民がだまされたもので、現在でも「国民の正当な要求を実現しうるシステムが機能不全に陥ると、国民に、本来見てはならない夢を疑似的に見せることで国民の支持を獲得しようとする政治勢力が現われないとも限らない」と加藤さんは警鐘を鳴らします。この部分には言及しません。

   久元市長も片山氏も、戦後の戦争責任についての国民的な議論が不十分という加藤さんの指摘に、現在の政治家としてどう答えるのか、は触れません。戦争を否定する憲法を守ってきた戦後政治の転換を謀り、国民世論の誘導と弾圧を強める安倍政権とは迎合的です。

   「戦争経済大国」は戦後の日本について書かれた本ですが、ついでに読みました。これは320頁、加藤さんの本は2冊とも500頁前後と分厚い本でした。でも読みやすかったです。

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簡単な紹介

 

    「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」は日清戦争からアジア太平洋戦争までの日本とそれにかかわる世界の近現代史が書かれています。「戦争まで 歴史を決めた交渉と日本の失敗」は主としてアジア太平洋戦争にいたるリットン調査団の報告、日独伊3国同盟、日米交渉を中心に書かれています。

    両方とも豊富な資料と最新の研究の引用と解説で、その当時の日本の進路を決めていった人々、明治政権の政治家、官僚、軍部、知識人と国民感情そして国内外の情勢等を多角的に説明しています。

    加藤さんが高校生を相手に講義したもの、質疑に答えているものを書き起こしたものですから、平易な言葉と文章でとてもわかりやすくなっています。

    明治維新以後の主な戦争である日清、日露、第1次世界大戦、朝鮮半島や台湾の植民地支配、中国大陸への侵略戦争を経て無謀なアジア太平洋戦争をたどる近現代史の解読は、大日本帝国の本質に迫るものでした。

    結論的に言えば、政府や軍部の中枢に世界の情勢や彼我の力関係等を理解している人々はいたけれども、長期的に天皇制の日本、日本国民にとってなにが本当に利益になるのかを考える人、意見を表明する人がいないということです。

   中華民国の駐米大使胡適は、本格的な日中戦争がはじまる前の1935年に「日本切腹、中国介錯論」を唱えます。これは、日本は米国やソ連が戦争体制を準備する前に中国に戦争を仕掛けてくるから、そこで米国とソ連を不可避的にその紛争に介入させるために「中国が日本との戦争をまず正面から引き受けて、2,3年間負け続けることだ。・・・これからの中国は逃げず、膨大な犠牲を出しても中国は戦争を受けて立つべきである」といいました。

   中国が独立国として生き残るにはこれしかない、ということです。その時、後に日本に抱えられて傀儡政権をつくる国民党副総裁、汪兆銘は「その間に中国は共産化する」と批判したそうです。

   歴史はその通りになりました。中国には深く物事を考え、意見具申する人がいたものだと思います。

    日本には壊滅的な戦争を避けるために、命を懸けて反対する政治家や軍人はいなかったと言うことです。

   日本国民は教育と情報操作、暴力的な弾圧によって節目節目の時機に「戦争を選ぶ国民」として育てられ、導かれていったと言うことです。「悠久の大儀に生きる」と死を選んでしまったのです。

   この本にはその国民の側については平均、概括的な状況の記述はありますが、個別の抵抗などは書かれていません。

    「戦争経済大国」は、アジア太平洋戦争で国土は焦土となり、敗戦の中から「経済大国」と呼ばれるまで復興した日本の姿を、朝鮮戦争ベトナム戦争との関連性について丹念に調査取材しています。

    9条のもとで、自衛隊を送り込むという直接的な介入はなくとも、他国の戦争を利した経済成長、沖縄など国民への強いられた犠牲の実態が記述されていました。