映画『空母いぶき』感想

昨年、表記の映画『空母いぶき』を見て、これは書かねばと思いました。今度発行する映画批評に載せようと思って書いていました。

かなり長いものになりましたが、ブログには短く編集したものを載せます。

憲法九条の下での戦闘
架空の戦闘と本物の戦争
 シネマこうべで『空母いぶき』と『リービング・アフガニスタン』を見ました。この併映は映画館の見事な企画です。
 『空母いぶき』は、二〇**年架空の国家、東亜連邦が太平洋上にある小島を突如として占拠し海上保安庁職員を拘束したことに対し、自衛隊の空母いぶきを旗艦とする機動部隊が奪還に向かい、敵の機動部隊と太平洋上で戦闘するという映画です。
 『リービング・アフガニスタン』は一九八九年、ソ連軍がアフガニスタンから撤退する際に実際にあった作戦、戦闘をもとに作られた映画です。ムジャーヒーディン(ジハードに参加する戦士)の頭目ソ連軍の将軍では人格が違うと描きます。
 どちらもCGを活用していますが、戦場が洋上と山岳地帯、戦艦・戦闘機の戦いと人間対人間の銃撃戦という違いがあります。しかも『空母いぶき』は、兵士たちがパソコンの画面を見ての戦いですから作り物感満載です。音速で飛ぶミサイルをミサイルで撃ち落とす、まさにゲーム感覚です。
 でも、もしかしたら現代では本物の戦争自体もゲーム感覚であり、これが現実の戦争、戦場をよく表現したものかもしれません。
原作と違う設定
 映画『空母いぶき』は同名のかわぐちかいじの漫画を原作に作られていますが、敵国を原作は中国とし、映画は東亜連邦という架空の国にする違いがあります。
東亜連邦は日本と国交もなく、この国と国民の状況はほとんど描かれず、国際条約を無視し、交流も対話もできない国、人権も民主主義も理解できない国民という演出を施しています。
ですからこの映画は、東亜連邦を国家としていますが、中東のISのような問答無用で武力を行使する巨大なテロ組織のような相手です。
 そういう設定のもとで、憲法九条の遵守、専守防衛と個別的自衛権の発動はどうなるのか、政治家と自衛官の考え方、それらを具体的な映像で表現しました。

f:id:denden_560316:20200416023442j:plain

総理大臣と幹部自衛官
 太平洋の小島の占拠を武力攻撃事態と認めてすぐに自衛権を発動し「攻撃するべきだ」と強硬派の外務大臣は叫びます。しかし垂水首相(佐藤浩市)は逡巡します。平和憲法の下で初めて戦争をする首相にはなりたくない、と思っています。
 九条を遵守する考え方を持ち、専守防衛の姿勢で自衛権発動をぎりぎりまで待とうとします。
 首相は日米安保に基づく米軍出動は依頼せず、国連への報告と周辺国への説明を急ぎます。米国の比重は他の大国と同程度です。この映画は日米安保在日米軍を除外しています。
戦闘現場では、空母いぶきの艦長(西島秀俊)がこの機動部隊全体の責任者となります。彼と防衛大学校同期である副艦長(佐々木蔵之介)はともに「憲法九条を守る」という意識は持っていますが、自衛隊はどう戦うべきか、戦闘の考え方は、若干の違いがあります。
艦長は副艦長の意をくんで、敵の死者がより少なくなるような攻撃、戦闘方法を指示しました。各部署の責任者もそれに従って戦います。
映画として九条に基づく戦闘はこうするべきだ、という考え方を示します。
首相も機動部隊の司令官も常識的で全体像を見ながら判断する姿は、組織のリーダーはこうあってほしい、という立派なものだと思います。
 安倍首相や田母神俊雄航空幕僚長のレベルではこうはいきません。
最新鋭兵器の威力

f:id:denden_560316:20200416023533j:plain

自衛隊が空母を持つことは、専守防衛に反するという世論があると映画でも紹介されます。しかし太平洋上の島嶼を防衛するために必要だと、政府が反対勢力を押し切って建造配備されたという前提です。
当然最新兵器が搭載されています。
東亜連邦は貧乏な国で、その兵器は旧式のロシア製のようで、戦闘機はミグ○▼といっています。戦艦も飛行機も自衛隊を上回る編成で、先制攻撃を仕掛けましたが、ことごとく打ち破られます。
自衛隊の空と海の防衛を担うイージス護衛艦の建造費は一七〇〇億円です。米国から購入した一機一一五億円のF三五も活躍します。世界に誇る最新兵器です。
専守防衛には相手を上回る兵器が必要だと感じます。相手が撃ってくるから撃ちかえす、撃ちかえすけれども大量の死者が出るような攻撃はしない、それでいて被害を最小限に抑えて戦う、そのためには性能も含めた圧倒的な軍事力の優位が、専守防衛に必要です。
九条の下で
現行憲法九条は交戦権も軍事力を持つことも否定しています。同時に日米安保により、米国の世界戦略に従う自衛隊がつくられました。歴代自民党政権は、自衛のために戦力といい、国連のPKOにも参加するように変えてきました。
しかし専守防衛を旨として、安倍政権の前までは集団的自衛権は否定してきました。
この映画はその考え方を踏襲しています。首相は防衛出動をどういう事態で発動するか、自衛隊の司令官は、部下にいつ攻撃命令が出せるか、どの程度の攻撃が出来るか、を厳密に慎重に考えようとしています。しかも、国民に被害が出るような全面的な戦争になることを恐れています。
好戦的ではありません。しかし問答無用の戦闘に突入してくる相手に対してどう対処するか、難しい見極めです。
現在の国民多数の意識は自衛隊の廃止や日米安保条約破棄は考えていません。そのもとでも専守防衛を超えた積極的な武力の行使や米国に加担する戦争も支持しません。
この映画は、そんな国民が考える九条の精神に則した戦闘、武力の行使をする政府と自衛隊を描きました。
そして戦闘の終結、戦争の回避は国連安保理常任理事国、米国、ロシア、フランス、英国、中国の潜水艦が戦闘地域にやってきて、両軍の間に入りおさめる、と描きました。
主権者は国民
この映画の一番の問題点は、この戦闘が国民の知らないところで始まり終わってしまったというところです。たまたま取材で「いぶき」に乗り合わせた新聞記者が映像を本社に送り、後追いで政府が発表しました。
政府は東亜連邦の動きと「いぶき」の出撃について、マスコミや国民には秘匿します。事態の推移を見ながら、いつ、どの段階で状況と政府の方針を国民に発表するのか、という検討がされるべきです。政府、自衛隊の独断専行はダメです。
彼らが戦闘の実態を国民に知らせない、と映画が描くのであれば、当然、それを批判するジャーナリズムや国民を描くべきだと思います。
全体的に立派な政府と自衛隊、情けないジャーナリズムと国民という構図です。しかし民主主義国家では国の方向性を形つくるのは賢明なリーダーではなく、最後は国民です。そこを強調する映画にしてほしいと、私は思いました。