古川健『拝啓、衆議院議長様』を読んで

神戸演劇鑑賞会の9月例会で表記の芝居をpカンパニーが上演します。

古川健は若い作家ですがいいホンを書きます。セリフもいいですね。

これは2016年相模原障害者施設殺傷事件をモチーフにつくられた芝居です。

私は運営サークルに入り、会報を担当しました。合計7人が集まっていろいろ議論をしました。原稿の締め切りは来週28日となっています。

私の担当した、この芝居のテーマを考えるような文章は一応できました。それとは別に、最初にこの芝居の脚本を読んだ感想を書いていますのです、それをここに載せたいと思います。

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神戸演劇鑑賞会9月例会「拝啓 衆議院議長 様」シナリオを読んで。

  1. 一人の若者が多くの障碍者を殺傷した相模原事件、その事実をもとにしている、極めて重いテーマの芝居です。日本も含めた現在の国際社会は表面的には、すべての人間の命と人権を大切にして、差別のない共存共栄する社会をめざしています。しかしつい最近も米国で理不尽な警察暴力が黒人の命を奪う事件があり、根強い黒人差別意識が内在していることが明らかになりました。理想と現実の大きな落差を見せています。

  2. 私たちの身の回りでも、障碍や病気による差別、人種差別民族差別、男女ジェンダーによる差別、宗教差別、職業差別、学歴差別、正規非正規の雇用形態など、多数派が少数派を圧迫し、直接的に命の危険性は少なくとも人権を蹂躙する差別が日常的にあると、気づきます。

  3. 差別は誰の心にも潜んでいる、と言っても過言ではありません。それが米国トランプ大統領の言動やSNSの匿名性などによって差別の「本音」をいうことを躊躇しない風潮が作り出され、それが増幅されています。しかもグローバル化新自由主義施策がG20等主要国の経済政策となり、第2次大戦後に先進諸国で作られてきた福祉国家を内外から崩しています。福祉施策と予算を縮小し経済格差を広げて、人間の価値を「お金を儲ける」という「生産性」を基準とする考え方を広げています。

  4. 2020316日植松聖(芝居では松田尊)被告に死刑判決が下されました。被告は控訴せずに死刑が確定しています。被告の信念「意思の疎通が取れないような重い障害者は、安楽死させたほうが良い。彼らは人々を不幸にするだけだから」にもとづく殺人行為でした。事件前に衆院議長あてに同趣旨の殺人予告の手紙を送っています。判決後も被告は彼らを殺したことは「社会のためにも保護者のために有益になる」という考え方を変えていません。

  1. 「事件は派生的に『生きるに値しない生命はあるのか』という根源的な問いを、わたしたちに投げかけた」(神奈川新聞3/16)もので、安楽死問題、尊厳死問題、出生前診断問題、そして死刑制度までも考えさせます。

  2. 芝居は、被告を弁護するために、弁護士が被告人自身、彼の両親、彼と同じ障碍者施設で働く職場の同僚、被害者の親、精神科医と話し合います。しかし弁護士は被告の考え方を嫌悪することを禁じえず、調査し考えるほど、弁護ができないというジレンマに捕われます。

 弁護士はそれを乗り越えるために、もう一度、関係者の話を聞きに行きます。私たちはどこまで弁護士と一緒に考えることができるでしょうか。芝居の中で浮かび上がってくるさまざま思いに気づき、問題に向き合えるでしょうか。

  1. 障碍者に対する差別を否定する社会ですが、潜在的に彼らの存在を認めたくない、隠したいと思っています。施設自体が人里離れた所あり、肉親や親類縁者には障碍者がいることを隠したい人もいます。施設で働く人々の心にも、心身の負担に耐え切れない時もある、と証言しました。

  2.    人権派」と自認する弁護士の中で矛盾が膨れ上がり、被告の考え方と厳しく対立します。「死刑廃止論」者でいながら被告の考え方を強く否定し「弁護は出来ない」と考えます。

     しかし彼がたどり着いたのは寛容でした。普遍的な「すべての人間の命は大切」を確認しました。

     芝居は裁判が始まる前で終わります。実際の裁判では弁護側は事実関係を争わず、小松被告の精神鑑定による「責任能力」を争点にしました。

     人権派弁護士太田はどのような弁護をするのか、それはこの芝居を観たい人がどのように受け止めたかによります。

出演は以下のような人たちです。

Pカンパニー 第25回公演「『拝啓、衆議院議長様』~シリーズ罪と罰 CASE6~」チラシ裏