8月15日お盆です。網干区垣内のお墓参りをしました。嫁の実家の餅耕地には帰りませんでした。この墓地の管理をしているの浄土宗西山禅林寺派の萬福寺で、墓に刻まれているのは「南無阿弥陀佛」か「○○家」でした。宗派と関係あるのかね。
ある墓に蜂の巣がありました。お花を供えてありますから、この家では殺生をしないということで蜂の巣を取らなかったようです。
墓参りの後は、網干の北にある太子町とたつの市の歴史資料館に行きました。
太子町は聖徳太子の関係で法隆寺の寺領となり斑鳩という名前を得、そして太子町となったようです。大和朝廷と朝鮮半島の関係から交通の要衝として開けていきます。3世紀頃の土器と5世紀頃の土器が展示してあります。なんとなく違いが見えてきます。
下の写真は大名行列の宿舎、本陣の模型ですが、裏側も見えるように鏡が貼ってありました。ちょっと珍しい気がして、ここに載せました。
8月1日から9月13日まで特別展示をしていました。小さな資料館で常設展であるたつの地域の歴史的な展示はほとんどありませんでした。
龍野が誇る反戦非戦の象徴的な哲学者・三木清と詩人・内海信之です。そして市民から寄せられた戦時中のいろいろな資料が展示してありました。
下の資料は戦艦「比叡」の艦長であった西田正雄の資料です。彼は三木清と龍野中学の同期だったそうです。