2020年8月に見た映画

 

i-新聞記者ドキュメント-』『原爆の子』『海辺の映画館』『ラ・ヨローナ~彷徨う女』『マイ・スパイ』『フリークス能力者たち』『グッバイ・リチャード』『ポルトガル、夏の終わり』8本でした。良かったと言えるのは市民映画劇場『i-新聞記者ドキュメント-』ぐらいかなと思いました。『海辺の映画館』は大林監督の遺言みたいなものでした。『原爆の子』は新藤兼人監督の昔の映画です。

i-新聞記者ドキュメント-』

8月例会で、繰り返し見ました。森監督の怒りを感じます。坪井兵輔さんの学習会「伝統メディアの現状」を聞いたことも含めて、権力監視というジャーナリズムの危機はかなり進行しているようです。

組織としてのマスメディアも記者個人も、社会的な役割よりも、市場原理に流されている現状です。彼らが権力、支配層に迎合していることもありますが、資本の論理に対する危機意識が薄れていると感じました。

別途、感想を書いています。

『原爆の子』

 兵庫区のいちばギャラリーで見ました。

 1952年、新藤兼人脚本監督、主演は乙羽信子滝沢修宇野重吉奈良岡朋子等劇団「民藝」の俳優が勢ぞろいで、今見たら豪華な俳優陣です。

 原爆投下後の直接的な映像はなく、広島に生きる被爆者の人生、孤児の様子を描きます。被爆者の老人が働くことも出来ず、ぼろ小屋に住み乞食をしているのは、日本社会に対するものすごい批判だと思いました。

『海辺の映画館』

大林宣彦監督の遺作です。海辺の小さな映画館が閉館する日、老若男女の観客が集まってきます。映画館周辺には映写技師やもぎり嬢、向島から通う女子高生、ヤクザの客等、尾道向島の地形的な魅力と絡まり、大林監督の生まれ故郷の奇妙な味がありました。

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 スクリーンの内と外の枠が外れ、3人の若者が戊辰戦争からアジア太平洋戦争までの戦場をタイムスリップして体験する話を軸に、戦争と平和のイメージの映像がスクリーン一杯に飛び交います。

現代と現代が交錯します。会津戦争の白虎隊、坂本龍馬西郷隆盛、中国戦線、沖縄、原爆投下直前の桜隊等。現代と未来都市の映像。

でも、戦争は国家の犯罪であり国民は犠牲という構図に見えます。それが彼の弱点だと思います。世論、国民感情が戦争に傾いていく姿を描くべきでしょう。

『ラ・ヨローナ~彷徨う女』

 中南米に伝わる怪談と1960年から36年も続き25万人の死者を出したグアテマラの内戦を組み合わせた映画です。

大量虐殺を指揮した将軍エンリケ最高裁で無罪になりますが、国民の怒りは爆発し家の周囲を大群衆が囲み、罵倒と怨嗟、怒りの声を上げています。

エンリケは、神経を病み亡霊を見るようになり、真夜中に突然発砲します。

エンリケの隠し子かもしれない女を除いて使用人は出ていきます。後に来たのは謎を秘めた女アルマです。

夫に捨てられて、子どもを溺死させ、その後に自殺した母親の霊が恨みを持ってさまよう「ラ・ヨローナ伝説」と多くの国民を虐殺した内戦を組み合わせています。

「恨み」ということなのか、エンリケの妻が夢の中で、政府軍に子どもを殺されるシーンが何度も出てきます。その意味がよくわかりませんでした。

『マイ・スパイ』

CIAのエージェントものです。出だしは派手なアクション、銃を構えた大勢に取り囲まれるのを、銃弾よりも早く動いて、全員倒すシーンです。ごつい黒人の大男が監視対象の母娘と親しくなって、以外と言い男じゃないか、と思わせる映画でした。

幼い女の子と大男の組み合わせがジャン・レノ主演の『レオン』のような感じですが、凡庸な映画です。

『フリークス能力者たち』

人類にない超能力を持つ新人類(フリークスと言われる)が生まれる世界、そこでは人類による弾圧がある、と描く映画です。

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超能力者は、SFの定番と言っていいでしょう。昔から(意識を読み取る、伝える)(思った所、時間へ移動する)(思っただけで物を動かす)(未来を知る)(障壁を見通せる)(他の動物の言葉がわかる)(遠くの音が聞こえる)(時間を止める)(変身する)(発火能力)(人を動かす)(怪力)等、魔法と言っていいでしょう。

この映画のアイデアを紹介すると4人の超能力者が登場します。

少女を中心にすると、祖父、父、母がいます。彼女からはすべて血縁ですが、祖父は母の父で、娘の父との血縁はありません。それぞれに能力が違います。人類とは違う力を持つ、という広範囲の意味で超能力者が生まれやすい、という遺伝です。遺伝子によって能力や形態が子孫に伝わるという従来の生物学的ではありません。

それはそういう映画ということで深く考えません。各人の能力を見ていきましょう。

父は自分の周りと、その外との時間の進行速度を変えることができます。彼は、娘の時間を早くして、成長を促進させます。彼女の持つ超能力(赤ん坊の時はどんな能力かわからないが、超能力者だろうと思っている)を早く見つけよう、そしてその能力を隠すすべを教えようとします。

祖父は姿を消すことができる透明人間です。急に透明になってしまいますが、銃で撃たれナイフで切られるので、実体はあるということです。見えなくなるというだけです。

母は少ししか出てきませんが、高速で空を飛ぶ能力を持っているようです。

娘は、他人の意識に働きかけて、自分の思う通りの行動をとらせる能力があります。その影響は時空間を超えます。彼女の母親は遠い山奥に捕われていますが、彼女は母とコンタクトを取ることができて、しかも母の意識を通じて、母の前にいる男を自由に動かします。

これはものすごい能力です。

眼から血が流れ出るということで超能力者を識別する、ようになっています。

映画自体は、超能力によって人間の本質を明らかにするものではありません。そういう意味で、今一ですが、彼らがどんな超能力を持っているか、それどう活用できるか、自分勝手に考えることの方が面白かったです。

『グッバイ・リチャード』

 働き盛りの大学教授があと半年、と余命宣言を受けて、いい人生を送るよりも、好きなことをやってやろうとする映画です。でも意外と小心で、気ままな講義、酒とセックスぐらいです。底の浅い人生観ですが、ジョニー・デップがそんな男を好演しています。

ポルトガル、夏の終わり』

 この映画も主人公が癌で死ぬ前の映画です。イザベル・ユペールが余命わずかの世界的女優を演じます。彼女は家族や友人を呼んで、それぞれに遺言を託そうとしますが、みんな彼女の思いと違います。どうもちぐはぐになります。

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勢ぞろいの写真

 それも仕方がない、という雰囲気で全員が勢ぞろいして浜辺に向かいました。

 人生はそんなものだといえばそんなものです。

イザベル・ユペールが出ているから見ようと思ったのですが、彼女は大女優を演じても似合いません。大女優はドヌーブで十分です。