市民映画劇場の2020年9月例会『無垢なる証人』の学習会を行いました。
9月4日、表記のタイトルで金泰賢(神戸コリア教育文化センター運営委員)さんに来ていただきお話を聞きました。以下のその要旨を載せます。
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金さんは韓国の馬山で生まれ育ち、大学を卒業してから日本の大学院で学ばれ、そのまま就職し結婚もされました。現在は神戸市内の大学等で教えておられます。
学習会のテーマは、第2次世界大戦後の大韓民国の政治や社会の変化です。日本が戦争に負けて朝鮮が植民地解放されますが、朝鮮半島は南北に米国と旧ソ連に分割占領されます。その後、朝鮮戦争があり1953年の休戦協定時の38度線あたりの軍事境界線、板門店で、朝鮮半島は大韓民国と朝鮮人民民主主義国に分断、固定されます。同じ民族で国家体制の全く違う分断国家として、それぞれの道を歩んでいます。
記憶とメモを頼りに、学習会の要旨を、それぞれの大統領の時代に沿って紹介します。
これまでも韓国映画は何本も見て、現代史は知っているつもりでしたが、歴代大統領の特徴などを改めて聞くと、韓国の人々の民主化を求めた闘いのすごさに敬意の気持ちを持ちました。
李承晩、朴正熙、全斗煥、盧泰愚、金泳三、金大中、廬武鉉、李明博、朴槿恵そして文在寅が私の知っている韓国大統領ですが、このうち、進歩派民主派といわれるのは金大中、廬武鉉、文在寅の3人、戦後75年のうちの13年だけです。
1948年、李承晩は米国の軍政下に大統領として選出されて、北朝鮮に対抗する反共独裁国家として国づくりを進めます。1960年、ひどい不正選挙に怒った民衆の力により辞任します(四.一九革命)。
1961年朴正熙は軍事クーデーターによって政権を握り、1972年「維新」特別宣言によって国会解散、戒厳令などで軍事独裁政治をすすめます。その一方で「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展もしています。約30年実権を握っていましたが、1979年、最後は信頼していた部下によって射殺されます。
そののち全斗煥は、朴政権の後に民主化を求める「ソウルの春」を潰し、光州事件で市民を弾圧、虐殺した後に大統領になります。『タクシードライバ―』や『弁護人』の時代です。反共を旗印にして、でっち上げで拷問をするなど、軍隊と警察を使って国民を弾圧します。
そして『1987、ある闘いの真実』のように全土、全国民にひろがった怒りの民主化運動によって辞任に追い込まれました。
盧泰愚はその時に全斗煥に変わって「民主化宣言」を出し、軍人出身の最後の大統領になります。
1992年、与党に取り込まれて金泳三は大統領になりました。そして1997年、金大中が大統領になりました。彼は朴正煕の時代から民主化を求めて闘い続けた政治家です。KCIAによって日本から拉致される等、命が危ない時もありましたが、とうとう第15代大統領に当選しました。しかし国家が破綻するような経済危機に直面して、IMF(国際通貨基金)下で新自由主義的経済施策を実施します。現在の格差社会になりました。
そのあとを受け2002年、廬武鉉が大統領になります。彼は『弁護人』モデルとなった人で、軍事独裁政権の後継者を一掃しようとします。しかし国民はこの後、2007年、李明博、2012年、朴槿恵と独裁政権の後継者である保守政治家を選びました。朴槿恵が大統領になったのは、彼女の父、朴正煕の時代の経済成長を懐かしむ時代の年代が支持したようです。
自由や民主主義を弾圧してきた軍部と保守派ですが、すべての国民が嫌うわけでもないようです。経済発展、生活の向上が民主化の徹底よりも選択肢の上位にありました。
しかし2017年、廬武鉉の後継者である文在寅が第18代大統領につきました。
韓国民の民主化をお求める大闘争の歴史を聞いた思いです。
金さんには、学習会の後の懇親会に来ていただき、もっと深く現在の韓国事情をいろいろな話を聞きました。
日本の占領下であっても、そこそこの暮らしを保っていた人々はいたわけで、日本を嫌っていません。金さんの祖父母は「日本人はいい人」と評価していたといいます。
徴兵期間は現在では2年弱で、だんだん短くなっているようです。金さんは、お化け屋敷のような仕掛け(暗闇の中でいろいろなものが飛び出す)があり、最後の関門は蛇を体に巻き付ける、恐怖を我慢する訓練を受けたそうで、とてもリアルな感じがしました。
彼の大学での専門は、植民地時代の日本語新聞であったのは驚きです。
また、彼が現在教えている大学では、朝鮮の植民地支配を知らない学生も結構いるようです。当然、従軍慰安婦や徴用工等はよくわからない状態です。
今回の学習会では、韓国と日本のとてもリアルな市民感情を聞きました。
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上映日は9月18日19日です。詳細は映画サークルのHPをご覧ください。