『パパは奮闘中!』の感想

映画サークルの10月例会『パパは奮闘中!』の感想を書きました。映画全体にかかわったものではありませんが、私が気になったことです。

※  ※  ※  ※  ※

些末なことに拘った感想

「リベラル」のジェンダー

 原題は「われらの闘い」です。邦題は、主人公オリビィエが子育てと仕事、組合活動に対し、懸命に取り組む姿を反映しています。しかし彼の言動など内容を反芻して吟味すると原題の意味「われら」とは誰かを考えてしまいます。邦題のように単純ではないと思いました。

f:id:denden_560316:20201122000357j:plain

私には少し不愉快な映画でした。なぜ不愉快になるか、ここではそれを書いてみます。

 通販会社の配送センターで働くオリビィエは、ある日突然、妻のローラに家出されて、小さな子ども二人を抱えて、途方に暮れながらも「パパが奮闘している」図です。

 彼は仕事ではチームリーダーです。その一方で労働組合の活動家です。この活動家というのが重要な属性です。

 フランスの労働組合の組織率は八%でOECDでも最下位です。しかし労働組合が締結する労働協約は九割を超える労働者に適用される制度をフランスは持っているので、労働条件を引き上げるための労働組合活動は、多数の労働者の支持を得ています。小さな組織ですがストライキやデモ、集会がたくさんあり、非組合員もそれに参加しているようです。この辺りが日本と全く違います。

 日本は組織率一八%ですが労働協約適用率はそれ以下という体たらくです。ですからフランスの労働組合活動家は権威があるはずです。

 彼は忙しさを理由に家事や育児は妻に任せっきり、しかも家庭での会話も一方的なようで、それに疑問を持たない男です。だからなぜ妻が黙って家を出たかわかりません。

オリビィエを助けるために、母や妹が来てくれますが、彼女らはローラが家出したことを一切非難しないのです。それどころか「あんたは父親と一緒だ」と身勝手で家庭を顧みなかった父を持ち出して、彼を非難します。

   労働組合にかかわる「リベラル」は、こんなもの、という批判です。かくいう私も同類で、こういう生き方を変えることなく、開き直っている一面もあるので、ここでは不愉快になりません。

「リベラル」の民主主義

この映画で駄目だと思うのは、子どもたちに民主主義を多数決だと説明するくだりです。オリビィエは現状を打破するために、労働組合専従職員の道に進もうと考えて、おそらくその説明を丁寧にしたうえで、子どもたちに「ここにいるか、引越しするか」を聞いたでしょう。息子エリオットは反対し、娘ローズは賛成します。

人生を多数決で決めるのは、民主主義の説明として正しいのか、駄目です。幼い二人を言い含めますが、これは茶番劇です。多数決で決めて良いことといけないことがあります。

エリオットの反対が「ここにいないとママが帰ってこれらない」と言うことだけなら、ラストシーンのような解決策があると示して、彼の納得を得られたのではないか、と思います。

以前上映した『キリマンジャロの雪』では、リストラ対象をくじ引きで選んだ労組委員長は、後にその「公平」は間違いだったと悟ります。オリビィエが「民主主義=多数決」というレベルで労組専従になるのは不愉快極まりない、と私は感じました。