26日9時過ぎに神戸を出て、福山市街に着いたのは12時前です。自動車専用道路(玉津IC、第2神明、加古川・姫路・太子BP、山陽自動車道姫路西IC、山陽自動車道、福山東IC)を通って約2時間半程度の適度なドライブでした。その間、落語のCD(枝雀、志ん朝、円生、金馬他)を聞いていました。
「平和人権資料館」「文学館」を見てから昼食、回転寿しの定食を食べ、午後から「県立歴史博物館」と「しぶや美術館」を見ました。これらの施設は、すべて福山駅北側の福山城址の周辺にあります。しかも駐車料金は、歴史博物館は、時間制限はあったものの、すべて無料でした。
それから一路、鞆の浦へ約30分程度で、宿泊するホテル鴎風館につきました。
「平和人権資料館」は鉄筋コンクリート造2階建ての立派なもので、福山空襲と部落差別に関する展示をしています。
福山には8月8日に大きな空襲がありました。B29、91機が襲来して314ha市街地の8割が焼失し、死者355人、被災人口47,326人(当時人口の81%)という被害がありました。福山には海軍航空隊の基地があり、火薬工場や航空機関連工場もあり、米軍はそれらを標的にしながらも無差別爆撃を敢行しました。
隣に「文学館」があり、こちらも立派な建物でした。常設展示は福山出身の作家、井伏鱒二です。特別展示は「葛原しげる」でした。童謡作詞家で教育者です。
「ギンギンギラギラ夕日が沈む、日が沈む、まっかっかっか空の雲・・・」の「夕日」を作りました。でもまじめな人だから面白いことはありません。
「県立歴史博物館」も立派な建物でした。しかし中身はいまいちです。草戸千軒ミュージアムという愛称だそうですが、芦田川の河口付近に沈んでいた鎌倉、室町時代に反映した港町、草戸千軒の遺跡が中心の展示です。
備後の国全体の歴史と民俗を展示していてほしかったですね。
城址から少し離れて「しぶや美術館」がありました。福山の不動産業グループの創始者、渋谷昇さんのコレクションをもとに作られた、彼の大きな日本家屋を改修した建物で、公益財団法人の設立運営です。
土井政治さんの色鉛筆画の展示があり、和室には家雛人形が飾ってありました。
宿泊した鴎風館は鞆の浦の東入り口にあたる場所にありました。東向きの部屋で大きな窓で、仙酔島を正面に見ています。
翌27日の午前中は街歩きをしました。鞆港周辺は古い家屋が多く道も狭いところですが、そこへ入るまでは、無電柱化した大きな道路を作っています。
町中は車が何とかかわせるかなという道路が何本か通り、あとは細い路地です。狭い範囲にたくさんの宗派のお寺があります。瀬戸内海の中間にあって栄えた港町だったことがわかります。
圓福寺(大可島城址)、鞆の浦歴史民俗資料館(鞆城址)、いろは丸展示館、保命酒鞆酒造と見て歩きました。
「いろは丸展示館」でこの事故を初めて知りました。幕末、鞆の浦の沖合で、坂本龍馬の海援隊が借り上げていたいろは丸と紀州藩の船が衝突していろは丸が沈むという海難事故です。鞆の浦住民の有志が、町おこしの一つとして、いろは丸の残骸を調査し、引き上げた遺物を展示しています。
「歴史民俗資料館」は鞆城址の跡地にある立派な建物ですが、もう少し鞆の浦の全体の歴史(古代~現代)と瀬戸内の海上輸送の中心地であった地理的要因などを絡めた展示が欲しいと思いました。
保命酒は、鞆の浦の名産で、生薬を溶け込ませたお酒です。健康にいいということで買って帰りました。
午後は岡山県笠岡市へ向かいました。福山のもう一つの顔であるJFEスチールの巨大工場群を抜けて、笠岡ベイファーム道の駅で昼食を食べて、カブトガニ博物館、笠岡市立竹喬美術館に行きました。
帰りは3時ぐらいに出て、岡山、姫路ぐらいまで順調に来ましたが、高砂あたりで事故車両があり大渋滞で、家に帰りついたのは結局7時前になりました。
「カブトガニ博物館」はなかなか面白い展示でした。カブトガニの生態が中心ですが、古生代からのざっとした生物の変化を映像で見せてくれました。そしてカブトガニの生育も画像が丁寧に作られています。でももう少し大きくしてほしいものです。
「市立竹喬美術館」は、笠岡出身の日本画家、小野竹喬を中心に展示してあります。この日は特別展示で「瀬戸内の日本画家たち」がありました。小野竹喬を初めて知りました。
広い立派な建物の美術館でしたが、中身がちょっと乏しい感じです。いちば印象に残ったのは橋本関雪の玄猿の絵でした。
今回は一泊二日の短い旅で、資料館博物館等を8館ほど回りました。いずれも立派な建物でしたが、中身ももっと深みのあるものにしてほしいです。もしかしたら学芸員が十分に配置されていないのではないかと思いました。
食事の写真を載せておきます。
これは竹原のブランド牛でメス牛の肉です。柔らかくておいしい。