2021年4月に見た映画その1

『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』『ノマドランド』『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事』『ミナリ』『お名前はアドルフ』『ストックホルム・ケース』『グレタGRETA』『無頼』『赤い闇スターリンの冷たい大地で』『ソニア ナチスの女スパイ』10本になりました。とりあえず半分の5本について書きます。

『きまじめ楽隊のぼんやり戦争』

 よくわからない映画でした。邦画です。

 出ている人々の生活は、ひと昔し前ぐらいの設定で、こちら側に住んでいる人々が、川向こうの町と戦争をしているという話です。

 兵隊となっている人々は、朝から出勤して戦場である河原に向かい、鉄砲と大砲を打ち合って夕方になると帰ってくる、という日常を送っています。これが何の暗示なのかさっぱりわかりません。

ノマドランド』

 評価が高くて、ベネチア映画祭グランプリ、米アカデミー作品賞監督賞など多く受賞しています。監督のクロエ・ジャオは中国系米国人ですが、中国批判をしたことがあったそうで、そのために今回のアカデミー賞受賞が中国では報道されないと聞きました。酷い国になりました。

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 映画は、普通の家を持たずキャンピングカーを家代わりにして、米国のあちらこちらを旅しながら生活をする人々、高齢の男女を描いています。ノンフィクション『ノマド:漂流する高齢労働者たち』(ジェシカ・ブルーダー)が原作です。ノマドは放浪者、遊牧民という意味、フランス語です。

 主人公ファーンは60代、彼女は夫と死別し、ネバダ州エンパイヤという町に住んでいました。リーマンショックの時期に、町を作り経済活動を支えていた石膏採掘企業が倒産して、町はゴーストタウン化しました。彼女も生活ができないと判断し、そして家を捨て普通の生活を捨てて、家財道具をキャンピングカーに乗せて、当てのない放浪の旅へと出たのです。

 それは彼女の選択ですが、あまりノマドの暮らし方は知りません。でも色々な人と出会う中で、その生活に慣れていきます。

 とても静かな映画です。ファーンを演じるのはフランシス・マクドーマンドで『スリービルボード』で演じた過激な女性とは変わって、あまり表情を変えない役柄でした。

 ノマドたちは彼女と同様に高齢者で独り者が多いようです。定まった収入はなく、ファーンは通販会社の配送センターや公園の清掃など、臨時のアルバイターとして働きわずかな現金収入を得ているようです。おそらく年金と合わせてかつかつの生活でしょう。

 ファーンは突然の車の故障に、修理代を姉に借りに行きます。「ここで一緒に住もう」という誘いも断ります。

 お金もないし、医療保険にも入っていない、独りぼっち、厳しい生活と大きな不安を抱えながら「普通の生活に戻らない」彼女の心中をわかりやすくは描いていません。でも人間の誇りみたいなものを感じました。

 もちろんベースには米国社会の新自由主義万歳の「自己責任」にもとづく貧しさがあります。だからと言って、それを声高には言っていません。いわば個人の自由を建前とする現在の米国社会が縛っている息苦しさからの解放、逃走のような映画でした。

『生きろ 島田叡―戦中最後の沖縄県知事

 西神ニュータウン9条の会HP5月号に紹介を書きましたので、詳細はそちらを読んでください。簡単に紹介します。

 アジア太平洋戦争の終戦間際、民間人を巻き込んだ沖縄戦を、戦中、最後の沖縄県知事島田叡の生き方を通じて描くドキュメンタリーです。

 島田叡は沖縄県知事に任命されて、1945131日、沖縄の地に立ちます。敗勢は明らかで「死にたくないから、だれか代わりに行ってくれ」とは言えない、と家族の反対を押し切って赴任します。43歳です。

 三高、東大、内務官僚と進む典型的なエリート官僚ですが、死を覚悟して沖縄に行きます。県民のために精一杯働き、一般国民に対しても軍が公然と玉砕を求める中で、県職員や県民に命を大切にしろと言います。気骨があったと言われています。

しかし軍の要請(命令)には逆らえず、県民は悲惨な地上戦に巻き込まれました。

『ミナリ』

 米国に移住した韓国人一家を描く映画で、時代は1980年代です。監督・脚本のリー・アイザック・チョンは韓国系アメリカ人、ミナリは韓国語で香味野菜のセリのことです。

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 米国に移住してひよこの性別鑑定士等でお金をためた韓国人一家が、田舎に土地を買って農業を始める話です。新天地にきたから一発当てて生活を向上させたいと、夫ジェイコブは必死に働きます。

 トレーラーハウスに移り住んで、適当な農地(前の所有者は破綻した)を買います。妻と二人の子供(小学生低学年?、女の子と男の子、彼は心臓が悪い)、そして韓国から妻の母親も呼び寄せます。しかし妻モニカは「こんな生活いやだ」と争いは絶えません。

 変人の米国人を雇って韓国料理店向けの野菜を作り、地域のキリスト教会にも顔を出して、苦しくても何とかなるかな、と話は進展していきます。

 しかし土地の地下水が枯れ、母親が倒れます。さらに農作業小屋が火事になるという不運が頻発しました。

 どうなっていくのか、思う間もなく映画は終わりました。最後に川べりに植えた韓国から持ってきたセリが青々と茂り始めた、が希望かなと思いました。

 身一つでやって来た韓国移民、人生は努力し苦労したからと言ってうまくいくとは限りません。80年代に35万人がやって来たと言いますが、この映画のようないろいろなことがあって、この地に根を下ろして粘り強く暮らしてきたのでしょう。 

『お名前はアドルフ』

 4月例会でした。ドイツ人にとってアドルフという名前は特別なのだ、ということで映画は始まります。ヒトラーファーストネームですから、普通は気にしますよね。でもこの映画の本当に怖い所は、夫婦、姉弟、親友などの非常に近しい人間がお互いに心の奥底に秘めていた思い、というか恨みつらみを吐露してしまうことでした。

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『お名前はアドルフ』の主な舞台

 この映画は子供にアドルフという名前を付けるといえば、大学教授で左派の義兄(姉の夫)と姉がどんなことをいうか、弟が仕組んだパーティの座興です。本当は死んだ父の名前を付けるつもりでした。

 このパーティの参加者は5人、姉夫婦、弟夫婦、そして姉弟と家族のように一緒に育った男です。姉夫婦の姉は国語の教師、夫は大学教授で幼馴染、弟は事業で成功した金持ち、その妻は女優、男は音楽家です。みんなインテリか金持ちの上流階層の人間です。

子供の名前「アドルフ」で議論しているときは、まだよかったのですが、そこから一人ひとりお互いに個人的欠陥をつく攻撃の大渦が、すべての人を巻き込んで始まりました。さらに・・・。

 そんな身も蓋もない大喧嘩の後で、人間関係がどうなるのか、これが本当にテーマかもしれません。その後も、普段と変わらぬ関係が続くという大人の映画でした。

   痛い所を突っ込まれ批判されても、それを受け止める人間力が大事です。言論の自由、批判の自由から自分が除外されているわけではありません。