『命どぅ宝』を読んで

これは、神戸演劇鑑賞会の8月例会です。私は、その担当になり会報係でした。事前に台本を読んで以下のような感想を書きました。

 文化座が公演します。是非芝居をご覧ください。鑑賞会は会員制ですから、新しく会員になるには6月分の会費を納める必要がありますが、その値打ちはあります。

 例会日は8月6日7日です。詳細は以下のHPをご覧ください。

http://kobeenkan.my.coocan.jp/index.html

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 もっと沖縄を知るきっかけに

 舞台は敗戦直後の沖縄です。米軍の占領下で「銃剣とブルドーザ」で土地を取り上げる米軍に対し、農民は闘いに立ち上がり、それは島ぐるみの闘いに発展します。中心となった3人、伊江島反戦反基地の農民、阿波根昌鴻(あわごんしょうこう)と反米を明確にしてアカと攻撃される元那覇市長瀬長亀次郎(沖縄人民党委員長、復帰後は日本共産党副委員長)、復帰後の初代沖縄県知事となった教育者、屋良朝苗、彼らが「日本に復帰して、沖縄をウチナンチュ-に取り戻そう」と闘う姿を描きました。   

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(瀬長亀次郎と阿波根昌鴻)役の二人

  
  沖縄と本土の米国の支配は占領当初から違います。北緯30度以南の島しょ部は、行政区分を分離しています。東西冷戦の前線基地にしようという狙いがありました。

巨大な敵、米軍から沖縄を取り返すためには、ひとり一人が闘うのではなく、立場や思想信条の違いを超えて、全沖縄人が力を合わせる必要があると、3人は気づきます。現在の「イデオロギーよりアイデンティティ」と保守革新を超えた「オール沖縄」運動を連想させました。

しかし、その後の沖縄の歴史は困難を極めます。日本全国から米軍基地を押し付けられ、現在でも、沖縄県民の多数が反対の意思表示をする辺野古新基地建設を、日本政府によって強行されています。しかもその埋め立てに沖縄戦の遺骨が埋まる土砂を使用するという死者の冒涜さえあります。

私たちは無関心でいた

 戦後の日本は、日本国憲法の下で、不十分であっても平和と民主主義、基本的人権を尊重する社会づくりであったと思います。焦土から立ち上がり、安保闘争や高度経済成長等を経験しながら、夢と希望の実現をめざしました。

 東京五輪大阪万博などは発展の象徴です。その一方で深刻な公害など、国土の荒廃もありました。

 アジアでは朝鮮戦争ベトナム戦争がありましたが、日本は憲法9条で守られ派兵することはありませんでした。

 その同じ時代、沖縄は米軍の支配下に置かれています。沖縄県民には日本国憲法の恩恵はなく、軍事基地として故郷の土地と生活を無理やり奪われました。

 本土の人間は、その実態をほとんど知りません。

沖縄の心

 この芝居のタイトル「命どぅ宝」は沖縄の言葉で「命こそが大切な宝、何ものにも変えられない」という意味が込められています。山里永吉の琉球処分を描いた戦前の戯曲『那覇四町昔気質』が原典とされます。

 阿波根昌鴻さんが設けた平和資料館の名称になっています。

 アジア太平洋戦争で日本の民間人を巻き込んだ大規模な戦場、沖縄戦は兵隊だけでなく県民も投降することが許されず、戦死者19万人のうち半分が民間人で、沖縄県民の4人に一人が犠牲になったと言われます。

 沖縄守備隊といいますが、その目的は沖縄を守るのではなく、本土決戦に向けた時間稼ぎと、降伏するにしても国体護持のために「今一度戦果を挙げて」和平交渉を有利にしたい、という思惑がありました。沖縄は捨て石でした。

 米軍は本土攻略の拠点とするために、総力を挙げて沖縄を攻撃しました。

 「命どぅ宝」は、その悲惨な体験を二度と繰り返さない決意の言葉です。

 しかし戦後は、米国の世界戦略に組み込まれて、ベトナム戦争などに協力を強いられてきました。

基地問題は私たちのこと

 神戸にも米軍基地があり、神戸港は重要拠点でした。しかし基地の撤去を求め、神戸港の軍事利用に反対し、核兵器を積んだ艦船を拒否する非核神戸方式を作り出しました。そのため米軍艦は寄港しません。神戸港に米軍拠点があり、米兵の被害もあったことは、神戸港150年の記録から消されています。若い人たちは知りません。

 激烈な反安保闘争の時代から大きく変わり、日本人の多くが安保条約を容認しています。しかし9条の大切さも理解しています。

 日本の安全保障政策は憲法9条と日米安保そして沖縄の米軍基地によって成り立っている、と言われます。

 本土にあった米軍基地は沖縄に集約されました。その結果、国土面積の0.6%の沖縄に日本の米軍専用基地の70%が置かれています。矛盾を沖縄に押し付けたのです。

 その結果、多くの日本人は安保条約やその日米地位協定による主権侵害の実態、沖縄の歴史も現実も見えなくしています。

 現在でも困難は続いています。しかし亀次郎の信条「不屈」、基地反対を戦うオバアの「勝つまではあきらめない」に共感し、沖縄の闘いに連帯し、9条の会の運動を発展させたいと思いました。