芝居の感想のスタイルは、まだよくわかっていません。率直に考えたことを書いていきます。ちょっと長くなりました。
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ミステリーの手法
原作は米国のテレビドラマ『刑事コロンボ』を書いたリチャード・ロビンソン&ウィリアム・リンクです。最後に見事などんでん返しを見せるミステリーらしい芝居でした。でも私は少し不満です。
名作の評価が高いコロンボ物は倒叙手法を取ります。見ているものに、最初から犯人をわからせておいて、コロンボがどのようにして犯人にたどり着くか、あるいは犯人とする証拠をどのように手に入れるのか、という手法です。視覚的な心理ドラマとなっています。
普通のミステリーは、警察などが証拠を集め容疑者を洗い出すなどして、犯人捜しをするのですが、この手法は捜査する側と犯人の心理戦が見ものです。
コロンボは、犯人の目星はつけているが、証拠がない、あるいは動機も不明である状況で犯人に接近していきます。その手法はかなり個性的で、その後の刑事ものに影響を与えています。
また迫られる犯人側の恐怖も見ているものにわかりるので、それも大きな魅力です。
コロンボ物の特徴は、多くは犯人が地位も名誉もある、そして知的で財産も持っているような人間です。殺人の動機も含めて、一般社会的に「優れた」人間の裏表がよく描かれています。
犯人を招き、罠を仕掛けた
『殺しのリハーサル』を見た直後は見事などんでん返しに感心していました。でもちょっと引っかかるものがありました。それで台本を借りて、確認しながら書き始めました。
あらすじを紹介します。
1年前、芝居の初日、結婚の発表する直前に、主演女優が謎の死を遂げます。その恋人であったブロードウェイで大きな力を持つ劇作家アレックスが、真犯人を捕まえるために、怪しいと考えた「容疑者」たち、彼女と絡んでいた俳優、演出家、プロデューサーたち5人を集めます。彼が書いた新作の脚本で芝居のリハーサルをする、という名目です。
実際の劇場の舞台を、芝居の中でも舞台にして「芝居」を見る形です。その「芝居」は「容疑者」の殺人動機を明らかにするもので、「容疑者」たちは抵抗します。そこに刑事が登場して、見張るといいました。
犯人はわからない、という前提で、芝居は進みますが、一つずつの「芝居」は面白く、「そんなこともあるかな」と見ていました。
しかし主役である劇作家は犯人を突き止めていて、証拠を掴むために罠を仕掛けたのでした。その罠がリハーサルです。集められた俳優たちもそれを知って協力していたのですが、誰が犯人かどのような罠かは、劇作家以外は知りません。ですから俳優たちは、割り振られた役を懸命に演じるだけで、それが犯人と観客を一緒に騙すような構成となり、ラストのどんでん返しとなりました。
惹き付けられる舞台設定
現実の舞台が芝居の中でも舞台として利用されます。誰もいない劇場に俳優たちが呼び集められるのですが、彼らは現実の客席を芝居の劇場の客席として、その通路を使って集まってくるという、客がわく仕掛けです。ニセ刑事役も実際の客席の入り口から入ってきます。
死んだ主演女優が出てくるのは、劇作家が思い出を語る時と劇中劇での彼女の役の時です。その場面場面で惹き付けられているので、時間軸が混乱します。思い出のシーンなのか、リハーサルのシーンなのか、芝居の進行を理解するのに混乱しました。
劇作家アレックス役の秋野太作さんは、実年齢が75歳を超えていますから、ちょっと高齢すぎるの難点です。キャラクター的に犯人を見つけ出す執念と情熱が似合わない感じです。
元関取の大至さんが劇場の管理人役で出ていましたが、面白いキャラクターです。活躍してほしいですね。
全体的には上手な芝居うまい芝居を見た、という感じです。
私の見方
でも私はミステリーにはうるさい方で、佐野洋『推理日記』をかなり読み込んで、彼の考え方に染まっています。さらに自分の好みもありますし、映画やテレビの2時間ドラマのミステリー物もよく見ています。
そういう私のこの芝居の評価は「可」です。標準はクリアしていますが、犯人像がよくない、そして主役の劇作家だけが犯人を知っているし、「芝居」という罠も、協力する俳優等は知っているのです。
そういう形で観客を騙すのは、ミステリーの主流からいうと外れている、と思いました。
しかも罠は、実際の現場ではなく、舞台に再現されたセットです。それに引っかかった犯人が自白して決着する流れで、「それは甘い」というのが私の評価です。
意外な犯人、最後のどんでん返しが、この芝居の面白さですから、そこは触れないでおきます。ここに拘り過ぎたために、この芝居を全体的に振り返ると、犯人の人間性が薄くなっていると思いました。