12月17,18,19日と千葉県、主に房総半島の南、安房の国の行きました。
17日新神戸8時30分発の新幹線に乗って、木更津に1時ごろに着きました。思ったより早く着きました。ここからレンタカーで房総半島を回って、今回の旅の目的である関東ロードレースの会場である成田まで行きました。
最初に木更津郷土博物館(金の鈴)に行きました。思いのほか充実した博物館でした。
縄文、弥生時代から連綿と続く木更津、房総半島の歴史がよくわかりました。各時代の特徴が簡潔に記述されています。この辺りは水で苦労したのでしょうか。井戸を掘る、上総掘りは有名です。水車の仕掛けで揚水機も素晴らしいです。
この日の宿泊は冨浦のでしたが、その途中で鋸山美術館によりました。
こじんまりとしたいい感じの建物でしたが、貸し館になっていました。この日は小学生の絵の展覧会でした。ちょっとがっかりでした。
写真を見て気づかれたかもしれませんが、夕方のこの辺りはものすごい風が吹いています。ヤシの葉を見てください。
18日は館山から房総半島南端の野島灯台を回って、成田へ向かいました。
安房、里見家の居城です。里見家は戦国大名として関東の覇権争いに加わり、発祥の地上野国から房総半島に移り、安房の領主となりました。
里見八犬伝は、滝沢馬琴が作り出した全くのフィクションです。館山城は博物館になっていて八犬伝の絵や人形が展示されていますが撮影禁止でした。
里見家は江戸時代早々1614年に伯耆倉吉に転封され、その後断絶となりました。
博物館内の特設会場で「画狂人 井上文太展」が開催されていました。こちらは撮影はできました。
館山から南に下って、房総半島の最南端の野島埼灯台に行きました。
房総半島の真ん中あたりにある大多喜城に行きました。ここは県立博物館の分間になっています。刀、武具が展示されていました。
「赤羽刀」という言葉を知りました。日本の敗戦直後、連合軍が武装解除の一環として刀剣類を接収します。関東、東海地方から20万口が接収され、大半が海上投棄されましたが、美術的価値の高いもの5600口が返還されました。所有者不明のものが全国の美術館に引き取られました。ここにもそれが展示されていました。
保管場所が赤羽であったことから、この名前があります。
ここは「義民佐倉宗吾」を祀っているお寺でした。私は講談などの演目として、百姓のために身を犠牲にして直訴した人ぐらいしか知りませんでした。
ここの大庄屋で、本名を木内惣五郎といいます。将軍綱吉の時代、佐倉藩の圧政に耐えかねた百姓の一揆を抑えた惣五郎は、その代わりに将軍に直訴しました。
自分と子供は磔に処されますが、藩政は正されたました。
そういう話が講談、歌舞伎等で演じられています。一代記館には、その物語の場面場面の人形が展示されていました。
千葉へは、政令市の集まりや自治体学校で来ていますが、今回は房総半島を回りました。南の方はあったかいですね。成田辺りは氷が張っていましたから、だいぶ気候が違いました。
半島の先ということで不便な感じですが、縄文、弥生の時代から人が住み集落がありました。古墳も多く残っています。住みやすい土地だったんですね。船を使えば交通も便利です。