16日に木曾三川公園マラソンに出るので、ついでに郡上市と岐阜市を観光してきました。その週は全国的に寒波が襲ってきていました。高速道路も積雪で通行止めが出るなど、ちょっと大変でしたが、15日16日の天気は良くなりました。
14日
いつものように神戸西ICから山陽自動車道に入り、三木JCT、神戸JCTから新名神高速道路、高槻JCTで名神高速道路に入りました。
道路は北摂のあたりを通っていますから、積雪はありませんが吹雪が襲ってきます。名神高速道路に入ると吹雪は収まり、京都を抜けて滋賀の彦根あたりから再び雪景色になりました。そして関ヶ原ICからは通行止めで地道、国道21号に降りました。広いバイパス道路ができていましたが、交通量は多かったです。途中、丸亀製麺でカレーうどんを食べました。
各務原ICで東海北陸自動車道に乗ります。うまい具合に、郡上八幡ICまで通行出来ました。道路には雪はありませんが、両側の街、田畑、山はかなり雪が積もっています。
ICを出ると、道路上にも雪が積もっています。広い道路はかなり溶けていますが、まちなかの狭い道路は雪が残っています。住民が除雪していました。
郡上市は2004年に7か町村が合併して1030㎢と大きな市になっています。人口は3万9千人です。郡上八幡と言われる郡上城がある地区で有名な郡上踊りがあります。
お城は小高い山の頂にあり、積雪のために車では行けないので、町中をぶらぶら歩きました。街は雪が残っています。深い所では4、50cmあるようです。町の人に聞くとこんなに積もったのは久しぶりだそうです。例年は2,30㎝積もってもすぐに融けたそうです。
郡上八幡博覧会に入って、郡上の歴史をみて、そこの職員が郡上踊りを実演してくれました。7月終わりから9月初めまで狭い八幡地区のどこかで毎日のように踊られるようです。最高潮は盆のあたりで、徹夜で踊ります。
踊りの種類は何種類かありますが、比較的簡単、単調で、はじめてでも「すぐに踊れる」と言っていました。
下駄を鳴らしながら踊るそうですが、ひと夏で歯がちびてなくなるほどです。
雪でびちょびちょですが、街並みを見ようと散歩しました。古い酒屋さんがあり地酒を買いました。「郡上踊」のラベルを張った「踊り免状」です。店主が自慢するこの店にしかない、硬水を使った珍しい酒です。
帰って飲みましたが、おいしかったです。
町はずれに新しい郡上市歴史資料館がありました。あまり資料の展示はなく、文献の収集と研究の場所だそうです。
この日の宿は、国民宿舎「せせらぎ街道の宿 たかお」にです。市街から少し離れていました。宿舎の辺りは交通量が少なく、道路が凍結していました。サイクリング・ツアーの人たちがよく利用しているようです。
この日の宿泊は私たち以外に2組か3組の感じです。食堂でも風呂場でも人影はほとんど見ませんでした。
15日
郡上市内には合併する前の町村ごとに郷土博物館があるようです。その一つである岐阜に行く道の途中である美並町のふるさと館に行くことにしました。「円空の里」とあります。
高速道路に乗らずに地道を走り、長良川本流に沿って走る国道156号から外れて、谷筋の道路に入りました。
円空は江戸時代の美濃に生まれた仏師で、素朴な木彫りの仏像をたくさん(生涯に12万体と推定、5300体を発見)彫りました。この地には155体あるそうです。
円空の像は写真は禁止とあったので、初代名誉館長と彼の描いた絵、生活資料館の筏流しの模型を撮りました。
さらに南下して岐阜市街に入ります。金華山の麓の駐車場に車を置いてロープウェイでその頂にある岐阜城へ。
斎藤道三や織田信長の居城として名高いですが、329mという高いところにあるは、鎌倉時代に建てられた軍事用の砦の名残です。美濃地域一帯を治める政治経済の拠点では不便です。居館はふもとにあったとありました。信長も10年後には安土城に移っています。
岐阜という名は織田信長が、中国の故事に倣ったそうです。それまでは地名は「井口」城は「稲葉山城」と言っていました。
その周辺は公園になっていて、岐阜郷土博物館、加藤栄三・東一美術館を見ました。
そして岐阜駅の中にある岐阜平和資料室にいきました。
それほど大きな部屋ではありませんが、岐阜駅の構内にある市民会館の一部で便利です。
宿泊は、岐阜市街から少しはなれた養老温泉にある「なでしこの湯」です。岩盤浴をしました。
16日
この日の朝はよく冷えていました。車を日陰に置いていたものだから、フロントガラスが氷結していました。ホテルにぬるま湯をもらって、かけてから出発です。
8時に出て、養老町から海津市、木曾三川公園へ30分ほどで着きました。同じ公園内ですが、駐車場からマラソンのスタート地点まで歩いて15分ほどあって、9時10分スターですから、ちょっと焦りました。
広い長良川左岸の河川敷、片道5㎞、往復10㎞を2周に走るので平坦ですが退屈なコースでした。
2時間8分5秒という記録ですが、コロナ禍で初めてのハーフですからこんなものです。
レースの後、桑名の銭湯に入り、昼食をとってから帰路につきます。桑名ICから新名神高速道路に入り、草津JCTで名神高速道路に合流しました。
桑名から、正面に1000m級の山が連なる雄大な鈴鹿山脈を見ながら走りました。やがて山脈に入っていくと山の険しさを感じます。
15年ほど前、信楽に行ったときに工事中の新名神高速道路を見ていましたが、山の中腹あたりを通っていました。トンネルと橋梁であったと思い出しました。