2022年4月に見た映画その3

 4月の残りは6本になりました。『たちあがる女』『サマ-・オブ・ソウル(あるいは革命がテレビ放映されなかった)』『護られなかった者たちへ』『親愛なる同志たちへ』『クライ・マッチョ』『すばらしき世界』ですが、そのうちの前3本です。 

『たちあがる女』

 4月例会作品です。公開時にも見ていますが、再度見て、新たに気づくこともありました。

 アイスランドはどんな国なのかと思います。これまで『春にして君を想う』『馬々と人間たち』といったちょっと奇妙な映画を上映してきましたが、これもまた変な映画です。

 環境保全の活動家が一人で、アルミ工場に送られる送電線を何度も切り、ついには鉄塔をたおすという、過激な活動をしていました。

 そして彼女のもう一つの顔はコーラスの指導者でした。さらに、独身ですがウクライナから孤児を養子にもらうという展開です。

 彼女は環境を守るNPOとか、団体で行動するわけではないのです。法律に反していないアルミ工場を攻撃する、思想信条に基づく確信犯の犯罪で、いわばテロです。

 警察が全力で追いますが、彼女を応援する人もいてなかなか捕まりません。

 そう見ると過激ですが、映像的には現実にない音楽隊等を挿入して、ほのぼのさを出しています。

 アイスランドは人口36万人の小さな国です。所得水準も福祉も高い国で、男女の平等さもトップクラスです。NATOに加盟しているけれども、自国の軍隊は持たないし軍事基地もありません。

 小さな国で、国内上映だけでは映画製作費を賄うことが出来ません。このような映画を作っても、世界市場が受け入れているのです。

 本当に奇妙です。

『サマ-・オブ・ソウル(あるいは革命がテレビ放映されなかった)』

 1969年夏(6月~8月)に30万人もあつまった黒人ミュージシャン達によるコンサート「ハーレム・カルチュラル・フェスティバル」が開催されました。それはきちんと撮影されていましたが、これまで上映されてきませんでした。報道もされなかったようです。

 その映像を材料にドキュメンタリ―として作成したものです。

 同時期に伝説的ライブと言われるウッドストック・フェスティバル(人気ミュージシャンが愛と平和、反戦をうたい、40万人が集まった)がありましたが、それに匹敵するようなものです。

 私は両方とも知りません。でもウッドストックは有名だそうです。

 しかし米国や世界中で、こちらはまったく取り上げられませんでした。

 1960年代は米国の公民権運動が大きく盛り上がりましたが、まだまだこういう面があったということです。

『護られなかった者たちへ』

 これはちょっとひどい映画です。なぜひどいか、ネタバレになりますが丁寧に書きます。

 3.11東日本大震災があり、被災者が生活保護を受けようとした時にどのような対応があったのか、詳しくは知りません。でもこの映画にあるように行政の担当者が、申請者や受給者を少しでも減らそうとした、というのは想像できます。上司から命令される福祉の担当者は忸怩たるものがあったというのも信じられます。

 でもこの映画のような、殺人への展開は考えられません。

 震災から9年後に2件の殺人事件が発生します。震災直後に同じ職場で生活保護にかかわっていた男が二人、別々の場所で、雁字搦めに縛られ放置された状態で餓死させるという殺し方です。怨恨関係が濃いと見られました。

 すぐに二人に共通する人物があげられました。それは8年前に福祉事務所に放火した男、利根(佐藤健)でした。彼は避難所で親しくなった、ひとり身の老女遠山けい(倍賞美津子)が、生活保護を受けられずに餓死したことに腹を立てて、事務所に火炎瓶を投げたのです。

 事件が起きた時には、彼は刑務所から出てきていました。

 警察の捜査は利根に狙いを絞り追い詰めていきます。しかし真犯人は別にいました。避難所でけい、利根と親しくしていた少女、丸山幹子(清原果耶)です。彼女は成長して生活保護の仕事をしていました。

 利根に促されて、けいは一度は生活保護の申請を出します。しかし担当者から「事務手続き上、彼女が養子に出した子供に確認の連絡を取る」といわれて、けいは「それはやめてくれ」といって申請を取り下げたのです。

 そしてけいは一人で餓死しました。

 生活保護の面談記録から、けいが若い男女に連れられてきたことがわかり、警察はその二人を追いました。男は利根だとわかりますが女の素性にたどりつけませんでした。

 けいの生活保護を担当した職員(3人)はけいの状態をつかんでいたと思います。取り下げを促したならば、その後のフォローをなぜしなかったのか、ということです。職場における彼らの評価は真面目で良心的と言われています。

 本来の彼らの仕事は生活保護費の支給だけではなく、自立を手助けすることです。『すばらしき世界』の生活保護担当者を見ればよくわかります。

 けいを連れてきた利根の連絡先を聞いていなかったのか、隣近所のとの付き合いもないのに放り出したのか、ということです。職員の一人はけいが死んで「死んでは何にもならない」といい泣きます。

 真犯人、丸山幹子の殺人動機は、同じ生活保護を職務とする人間が「けいを殺した」という復讐です。それ以外にありません。

 彼女は、刑事に対して、自分の仕事を通して生活保護の実情と現行制度の限界を説明します。それは自身の限界でもあり、この国に対する怒りでもあるのです。それを彼女はすり替えて、私怨を個人に向けたのです。しかも計画的に残酷なリンチです。

 一人の人間は愚かで、つじつまの合わないことをしますが、映画を貫く考え方は一本筋を通す必要があります。

 自然の大災害での犠牲と、その後の人間社会の矛盾の犠牲は切り分ける必要があります。それを一緒くたに描くのはダメです。しかも復讐という狂気に触れません。 

 脚本家は『永遠の0』を書いたというのを読んで、さもあり何と思いました。よけいにこの映画で感動する人がいるのは、本当に情けないです。