2022年5月に見た映画

『カモンカモン』『ツユクサ』『スリーピング・ボイス』『オードリー・ヘプバーン』『大河への道』5本という少なさです。連休は田植えがあり、2回マラソンに出たという理由がありますが、ちょっと少ない本数でした。しかも残念ながら「これは」という映画に出会いませんでした。

 例会『スリーピング・ボイス』の背景を書いています。「大河への道』は西神ニュータウン9条の会HP6月号に書きました。それらも載せるので2回に分けての掲載です。

『カモンカモン』

 わかりません、というのが感想です。

9歳の甥を預かることになった独身男(インタビュアー、ジャーナリスト)が、その小さな子供を連れて仕事場や取材先を歩きます。

 その時の二人の対話がメインです。二人が打ち解けていくのはわかりますが、それ以上に何があるのか、見た時も今もその良さがわかりませんでした。 

ツユクサ

 小林聡美松重豊の主演という熟年世代のプラトニックラブですかね。

 小さな港町で暮らす、訳ありの中年女、芙美(小林聡美)はタオル工場に働き、同世代の女性二人と友達になって、彼女の息子の小学生とも遊んでいます。

 それなりに楽しい生活を送っていました。

 そしてツユクサの葉で草笛を吹く男、吾郎(松重豊)と知り合い、なんとなくいい雰囲気になります。吾郎は道路工事の交通整理員をしていました。彼にも過去があったのです。

 芙美も吾郎もつらい過去を背負い、この街に逃げてきていたのでした。

 それで知り合ってお互いに恋心を抱く、つらい人生からの転換です。いいね、という映画でした。何じゃらほい。

『スリーピング・ボイス』

 映画サークルの例会です。なかなか重い内容を持っていました。しかもスペインという現代ではわき役になっている西欧の国の暗い歴史です。近代西洋史の授業では教えていないような気がしました。

 1936年の総選挙で勝利した人民戦線政府に対し、同年フランコが率いる軍部がクーデターを起こし内戦が勃発します。

 ナチスドイツなどの支援を得た軍部は、1939年に勝利を得て、フランコ独裁政権が始まりました。

 映画は1940年、この時代をテーマにした映画はたくさん作られています。スペイン近代史の暗部です。

 日本では中国大陸に侵略戦争を仕掛けている時代で、フランコ側でした。映画を見ると、感覚的にはもっと新しいように思います。

 軍事独裁政権は、同国人であっても人民戦線で闘った人々を徹底的弾圧しました。見るのもつらい映画です。その時代は長くタブーとしてスペイン人は知りません。

 関係者の取材によって書かれた、その時代を描く小説が原作です。

 映画サークルの機関誌に、第二次大戦後のスペインを書きましたので、以下に載せます。

※  ※  ※  ※  ※  ※  ※  ※

フランコ独裁政権とその後のスペイン

フランコ独裁政権

 一九三九年四月一日から一九七五年十一月二二日まで、フランシスコ・フランコがスペイン内戦の勝利宣言を出し、彼の死去までの三六年間はフランコ独裁の時代でした。

 この映画にあるように、フランコは人民戦線政府側で戦った者だけでなく、その家族なども捕らえて、正当な裁判もなく処刑しました。その後も、自由や民主主義を認めずに、政権に逆らう者や組織を徹底的に弾圧します。

 政党はフランコが結成したファランヘ党(一九四九年に「国民運動」に改称)の一党となります。ファランヘ党反共主義カトリック主義、ナショナリズムを掲げ、最初は、ドイツやイタリアをまねたファシズムを推し進めようとしました。

 ヒトラーの要請がありましたが、第二次世界大戦は枢軸国側に加担せず中立を装います。裏では独伊に便宜を図り、義勇兵を対ソ戦線に送ります。満州国も承認しました。

 しかし枢軸国側の劣勢をみると、一九四二年ファシズムの中心的な人物(義弟ラモン・セラーノ)を要職から解任しました。

国際的孤立から西側の一員へ

 フランコ政権は軍部と王党派、大地主、カトリック教会という多様な右派勢力を結集してつくられました。

 大戦後は連合国側と相いれないファシズム体制だということで国連は排斥を決議(一九四六年十二月)し、主要国は国交を断絶しました。マーシャル・プラン(米国の西欧諸国への経済復興支援計画)からも外され、国際的には孤立します。

 米ソの東西冷戦が厳しい情勢になってくると、その流れが変わりました。まず米国が相互防衛協定(一九五三年)を結び、国連や国際通貨基金に加盟して西側諸国の一員なります。

 そして六〇年代には西欧諸国の好景気が反映して、外国企業からの資本投資が活発になり、重工業が発展します。観光客も飛躍的に増加(六〇年六百万人が六五年一四百万人、二〇一七年ではフランスに次ぐ外国人観光客八二百万人)するなど、日本に次ぐ高い経済成長を達成します。

 一九七五年にフランコが死ぬと、その後継者は政治方針を転換させて、七七年に選挙を実施します。その政権のもとで基本的人権等を保障した、現在の民主的な憲法(七八年)をつくりました。

民主主義国家へ

現在のスペインはスペイン王国(キング・オブ・エスパニア)という立憲君主制の国です。面積五〇.六万㎢、人口四七百万人、上下院の議会を持ち、広範な地方自治が保証された十七州で構成されています。EU、NATOの一員です。

 二〇〇七年にスペイン内戦とフランコ政権下の犠牲者の名誉回復、公の場でのフランコ崇拝の禁止などを盛り込んだ「内乱と独裁期に迫害と暴力を受けた人々のための権利承認と措置を定めた法(歴史の記憶法)」を可決成立させました。

 二〇二一年にフランコの最後の銅像が撤去されました。(Q)

参考資料:「一冊でわかるスペイン史/永田智成・久木正雄」他