『雪やこんこん』こまつ座公演 2022年2月22日神戸演劇鑑賞会2月例会鑑賞

 2月に見た芝居ですが、なかなか感想をまとめることが出来ずに、今日まで引っ張てきました。だからとても長くなっています。読んでみてください。

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 さすが井上ひさし、と言いたい芝居でした。大衆演劇の芝居小屋の楽屋を舞台に、どさ回りの役者たちが演じる芝居愛が見事です。名台詞名調子の掛け合いを聞いているのも心地よいものでした。

 でも引っかかることも残りました。ラストで、全体の「お芝居」の姿(芝居が二重三重になっている)が種明かしされますが「なぜそうしよう(芝居で観客をだまそう)と思ったのか」、この「お芝居」の発端、仕掛人は誰だったのか、の明示的な説明はありません。「お芝居」の流れでほのめかされる程度です。

 大衆演劇では明確な台本がなくて、あらすじと場、役柄をおおまかに口立てで設定して、あとは各人の能力で芝居をつくっていくものがあります。

  この『雪やこんこん』全体がそのように作られた芝居のような装いがあります。でも井上ひさしの芝居は綿密な計算でつくられていることは、誰でも知っていることです。

 私にはこの芝居の狙いが今でもわかりません。

芝居の大枠

 最初は、落ちぶれた旅役者の一座「中村梅子座」の悲惨な状況があり、なんとか年明けの檜舞台、浅草興行まで持たせたい、と座長、中村梅子(熊谷真実)が旅館の女将、和子(真飛聖)の協力を得て「ひと芝居」を打つのが一幕でした。

 二幕では、その女将は元役者で、田舎でくすぶっているのがもったいない、舞台に復帰させたい、と座員全員で「もうひと芝居」を打ちました。

 観客にはそのように見えました。

ところが最後に、一幕目は女将、和子の力量試しだった、というどんでん返しです。最初から座員たちは「落ちぶれた一座」を演じていたのです。

 それに合格した女将、和子を役者に戻すための二幕目の幕が上がったということです。

 それで、女将も芝居小屋の番頭も、役者に復帰することになって大団円「よかったよかった」で全体の「芝居」で終わりました。

 「れれれれ」という感じになりました。何が芝居の設定で何が事実かわからなくなってきます。

 しかも仕掛け人は誰なのかが気になりました。

 「そんな小難しいことを考えずに、芝居を楽しめば」という意見もありますが、私はついつい気になったことに、こだわってしまいます。芝居を見た後で台本を読み直し、これを書きました。

 私の推論は最後に述べることにします。

一幕目の肝

 芝居の流れを追ってみます。

 北関東の温泉町に豪雪の中を中村梅子一座がやってきました。

 アジア・太平洋戦争の敗戦後の復興が進み、国民の娯楽も広がり、その中で大衆演劇は斜陽に入っている、という雰囲気です。

梅子一座も大人気だったのも今は昔で、座員の給金が払えず逃げ出すものが続出しているという出だしです。

 宣伝チラシには総勢18人とうたっていますが、実際に来たのはお囃子担当も含め、座長中村梅子以下6人だけでした。そして貧すれば鈍するで、身内同士で口喧嘩いざこざが絶えません。

 大雪で客の入りも心配しているところに、芝居小屋の木戸が雪の重みでつぶれるというアクシデントもありました。「役者殺すに刃物はいらぬ、雪の三日も降ればいい」「役者の干物ができる」という自虐的な軽口も出ます。

 そこで大芝居が打たれました。

 芝居小屋主、大旅館の女将佐藤和子と座長の中村梅子が生き別れた母子であったという、感動的な運命の再会、という筋立てです。

 座員たちに、旅館の女将というスポンサーがついたから安心して芝居に打ち込め、というシグナルを送ることが目的です。

 一座側は座長と頭取、旅館側は女将と番頭が結託して仕組まれていました。

二幕目の肝

 二幕目が始まると、安心した座員たちは、股旅踊りの稽古もそこそこに、女将から金を引き出す算段をしています。そこへ年末年始の「支度金を」と女将が金包みを持ってやってきました。

 彼らは、いかに生活が苦しいか、それぞれがアピールします。ここまでは、これまでの流れです。それが一気に変わります。

 女将と女中の千代さんが引っ込んだ合間をみて、梅子一座全員が集まります。一幕目の「芝居」を見て、女将和子の力量を高く評価するという意見で一致します。そして彼女を役者に引き戻そうという目論見が組み立てられて、もう一芝居打つことになりました。

 お金のことはどうなったのと思いますが、はたと「それも芝居」で、すると一幕が前狂言で、ここからが切り狂言ということか、と思いました。

 一座の面々は、今夜の芝居の立ち回り稽古に懸命で、その時に事故が起きて、座長梅子が負傷して主役が務められない状況になりました。

 そして、その代役に女将を仕立てようと大芝居が始まりました。しかし女将の逆襲が始まって、またも見ているものは、どうなるのかと、ひたすら見ていました。

 一転二転があって芝居仕立ても明らかになり、女将が役者に戻ることも決まって大団円となりました。

 梅子一座の芝居はまだ幕が上がりません。全員が化粧を初めて、これからどんな芝居がつくられるのか楽しみだね、で終わりました。

昭和20年代の末

 実際の昭和20年代末はどんな感じでしょう。

 経済成長に入る前、都市部への「民族大移動」がまだ始まっていない時期です。でも敗戦直後の貧しさから脱しつつあります。

 昭和281953)年2月にNHKがテレビ放送を開始します。しかし家庭への普及はまだまだでラジオや街頭テレビの時代です。

 この温泉町でも人気絶頂という美空ひばりは、子役時代から活躍し、10代半ばになって主演した映画『東京キッド』『リンゴ追分』等は主題歌も大ヒットしています。全国的な大スターになり、その後に江利チエミ雪村いづみとともに三人娘と呼ばれはじめます。

 映画は、そのピークとなる昭和331958)年の映画人口11億人に向けて、右肩上がり調子です。

 落語も上方は没落の傾向ですが、江戸は志ん生文楽の黄金期でしょう。

 そのような時代で、実演の大衆芸能は斜陽の始まりを感じていたと思います。でも大衆演劇、歌舞伎、新国劇、新派劇、新劇、小劇場、アングラ劇団、家庭劇、宝塚、SKD、OSK、新喜劇等、今と比べても数倍、活気がありました。

だからどうなの

 そんな時代を背景に、名調子で、お客さんの気持ちを高揚させる芝居を作り上げました。見ていて、とても楽しく、そして郷愁を感じました。幼い頃の雰囲気です。まさに戦後10年を経た日本の雰囲気です。

 でもそこは子供には入ることのできない世界です。後に映画やテレビドラマで感じたものです。

 現在から振り返って、それはまだまだ貧しくて嫌なことも苦しいこともありながらも、気楽な希望の未来像を見ていました。

 この芝居の時代感は、楽しさを見せながらも、その危機感、緊張感を漂わせていました。

 でもしかし、最初の疑問に戻ります。誰が仕掛けたのか、です。

 ミステリーの犯人捜しの常套手段からいうと、一番得する人で、それは、女将という新しい花形スターを手に入れた「中村梅子一座」で、梅子座長です。

 女将の情報は、一座の頭取と通じていた番頭から得ていたと考えられます。さらにこの旅館のオーナー、芝居には出てこないがケチで極悪といわれる、女将を芝居から引き取った旦那の了解を得ていた、と思いました。

 そんなことを考えても、だからどうなの、という疑問は残りました。