『ラーゲリより愛をこめて』映画批評

 毎年出している同人誌『映画批評』用に書きましたが、掲載を拒否されましたのでブログにあげることにしました。「気分が悪くなる」と言われました。

 ちょっと長いですが、読んでみてください。

ラーゲリより愛をこめて』

個人の経験に矮小化する

戦争の悲劇

 日本がポツダム宣言を受け入れた敗戦のあとに、中国大陸、満州等にいた兵士、民間人約六〇万人がソ連軍によってシベリアのラーゲリ(ロシア語で強制収容所)に連れ去られます。酷寒の地の強制労働で約六万人が死にました。それは一九五六年まで続きます。

 彼らは戦時捕虜であり、犠牲者です。それはソ連の犯罪であり、それを許したのは大日本帝国天皇制を守るための棄兵棄民政策の一つであると思いました。

 映画は、ノンフィクション『収容所から来た遺書/辺見じゅん』を原作として、一人の兵士、山本幡男(二宮和也)に焦点を当てて、ラーゲリでの生活、労働が描かれました。

 ラーゲリという地獄の中で、幡男は人間らしさを失わずにいたといい、それが多くの人を励ましました。

 それは事実だろうと思いますし、ラーゲリという彼にはどうしようもない檻の中で、自分の信条を折らずに生きたのでしょう。

 でもそのあたりから「変だな」と私は思いました。彼は「戦争中はどうしていたの」という疑問です。 

 「シベリア抑留」という言葉は知っていても、その全体像や実態は知りませんでした。毎年八月にマスメディアが戦争特集の企画を持ちますが「シベリア抑留」は、多くありませんし、大規模な慰霊の行事も知りません。平和教育でも取り上げられることが少ないようです。

 そういう意味で、この映画がヒットすることはいいことです。何冊かの本を読んで、これを書きました。

ラーゲリでの過酷な生活

 映画は、ハルビンでの南満州鉄道幹部の豪華な結婚式から始まりました。一家で同席した幡男は「この幸せを忘れずに」といいました。その日は広島に原爆が落とされた後です。

 演劇『明日』(井上光晴原作、劇団青年座)を思い出しました。一九四五年八月八日の長崎の市民生活を描く芝居で、これも結婚式から始まるのです。この映画と違い質素な披露宴でした。しかも列席した人々の暮らしは悩み多きもので、翌日、彼らは消滅しました。

 幡男は本土空爆の情報は知っていても、その悲惨さを実感していません。満州では無縁であり、満鉄(南満州鉄道)の幹部であれば、この程度の結婚披露宴は普通のことだと思っていたのでしょうか。

 しかし不穏な空気は感じていて、この披露宴の後で妻に「日本に帰れ」といいました。おそらく関東軍幹部の家族が満州から帰国するのを知っていたのでしょう。

 すぐにソ連軍が攻め込んできて、敗戦となりました。家族は、一年ほど苦労してなんとか帰国したようです。一方で幡男は多くの兵士とともにソ連領内、奥深くに連れ去られました。

 食事も満足にないラーゲリで、酷寒の原生林を開墾する厳しい労働がはじまりました。

 まったく説明もなく、兵士たちには「なぜこんなことに」「いつ日本に帰れるのか」疑問と怒り、悲しみがまん延していました。日本人同士の暴力沙汰も、ソ連兵の人間扱いしない理不尽な弾圧もありました。

 幡男は満鉄調査部の社員であり、特務機関に属していたことから、戦犯として一般の兵士より長く収容されます。彼の上司も囚われていてひどい扱いを受けていました。

 映画では満鉄の説明がありません。中国に対する侵略と植民地政策の先兵である国策会社であり、それと表裏一体の特務機関は明らかに戦争犯罪者です。戦場で兵士が上官の命令に従って敵を殺すこととは性格が違います。

 そのあたりのことを、東京外国語学校(現・東京外大)に進学し左翼活動も経験した幡男が、自らの役割と責任を自覚していないのはおかしいと思います。

 彼は、直接的には中国人を殺しておらず、それで戦争責任を感じていないのかもしれません。

 ラーゲリで同僚となる軍曹・相沢光男(桐谷健太)が、捕えた中国人を殺すシーンを回想するのと対照的です。

 幡男は希望を失わずダモイ(ロシア語で帰国)を信じて頑張ろうと同僚を励まし続けました。息抜きのために俳句の会や野球を企画したりもします。多くの人に慕われたというのも納得いきます。

 しかし彼はがんによって、帰国はかないませんでした。戦後11年を経て同僚が彼の遺言を口伝えで家族に持ち帰りました。

理不尽の根本を問わず

 映画はシベリア抑留がなぜ起きたのか、その背景は描きません。戦争が終わった後に、長期にわたって不当な強制連行と強制労働がなぜ行われたのか、ソ連や日本の言い分も説明しません。

 兵士たちは不運を嘆き、哀しみはすれども、怒り、自分たちをこんな目に合わせた戦争、国家に対する怒りを描きません。無策であった日本政府の対応も問わず、まるで天災のような降ってわいた災難と受け止めているようです。

 現代から見ると奇妙に従順です。戦前戦中の教育を受けたものは、目下や非国民は排除できても、お上に対する怒りは持てないものかなと思いました。

 シベリヤ抑留はソ連の最高責任者スターリンの蛮行ですが、大日本帝国が国体護持のために差し出した人身御供でもありました。しかし映画では、まったくわかりません。

 映画の幡男は、戦争を回想しての自省をしません。ですから彼の遺書には中国への侵略や戦争の是非を問う言葉がなく、ただラーゲリと言う地獄にあっても、人間として道義と誠意が大事と説くだけです。

 もしかしたら、彼は特高警察に捕まった経験から、天皇制批判と戦争反対は絶対に言ってはならない言葉であると肝に銘じていたのかもしれません。

 また妻モジミ(北川景子)をはじめとする、彼の家族がハルピンでの生活を回想するシーンもありません。どんな生活振りであったかわかりませんし、彼らと中国人との関係も不明です。

 それと対照的なのが映画監督の山田洋次です。彼の父も満鉄の幹部で、幼少期に満州で暮らします。その時の経験を、折に触れて話しています。中国人に対して偉そうであったことが恥ずかしい、と聞いたことがあります。そんな思いは彼の映画に影響を与えています。

 私は子ども時代の強烈な経験は、生き方や考え方の根本になり、大事な時に顔を出すと思います。

 やはりシベリア抑留を描く際には、中国大陸で日本人は何をしたのか、を合わせて語られるべきだと思うのです。

現代の視点

  敗戦から十一年の長い年月を経て、彼らは帰国しました。四人が幡男の遺書を口伝えで遺族に持って帰りました。感動的なシーンです。

 しかし映画は、その後の彼らを描きません。シベリア帰りの多くの人々は帰国後も苦労したそうです。日本政府は黙殺し、世間一般からは排除されました。

 シベリア抑留者がつくる全国抑留者補償協議会(全抑協、最高時の会員十四万人、一九七九年設立、二〇一一年解散)は、日本政府に対して謝罪と補償を求める運動を起こします。そして二〇一〇年民主党政権下で「戦後強制抑留者にかかわる問題に関する特別措置法(シベリア特措法)」が全会一致で成立・施行されました。

 若干の補償金を支払い、全容解明する政府の責務が明記されました。しかし台湾や朝鮮籍の人々は排除されています。

 映画は、そういう日本政府の戦後責任を描かないままに終わりました。

 現在においても、空襲による被害の補償はありません。国家の誤った政策による被害を「国民は甘んじて受けなければならない」と司法はいいます。

 再び軍事大国への道へ踏み出そうとする現在の日本で、戦争や敗戦の悲劇を描く映画をつくる理由はなにか、それは二度と戦争をしてはならない、という敗戦直後の日本人の多くの気持ちを蘇らせるもの、と思います。

 そのためには悲惨な状況を描くだけでなく、それを招いた根源、国家の責任に迫るべきです