出てきました。前にうろ覚えで紹介した本です。もう少し、この本のよかったことを書いておきます。
伊丹万作は1900年から1946年9月、46歳という若さで死んだ。アジア太平洋戦争敗戦の翌年だ。だから、このエッセイのほとんどが戦前であり戦中である。彼の書いた実際のものを読むのはこれが初めだが、戦後に書いた「戦争責任者の問題」というのはその要旨については知っていた。いわく「誰もが騙された騙されたというが、騙したという人がいない」「騙されるということも罪」というものである。
そして今回初めてその全文を読んだ。
「自由映画人連盟」(終戦直後に、映画関係の労働組合、製作者、批評家、脚本家などによってつくられた。映画界の戦争責任者を明らかにしようとしたが、結局、映画関係の官僚と映画会社の経営トップ31人が追及され、2〜3年追放されたらしい)の戦争責任者追放の主唱者の一人に上げられていたことに、異を唱えたものだ。自由映画人連盟に入ることは了承したが、それは目的が「文化運動」というものであったことと、すでに病床にあったことから何かの役に立てばいい、という形式的参加であった、ということ。
だが、そういう参加の形式よりも彼が、戦争責任者の追及に対する姿勢を明らかにしたことが非常に重要である。それは冒頭に書いた要旨以外に戦前戦中の国民や映画人の動向を述べ、「自由映画人連盟」のやりかたに賛成できないといっている。そして自分のような性質のものは「自己反省の方向に思考を奪われることが急であって、騙した側の責任を追及する仕事にはかならずしも同様の興味が持てない」とむすんだ。
至極最も、謙虚な人間性が出ているし、戦争責任を誰かに押し付ければいいというものではない、と見ている。彼は自分自身「反戦の思想ではなく、たまたま病身のために戦争に協力的な作品を書いていないだけ」という。しかし、最初からこのエッセイを読めば、経営側や官憲の尻馬に乗ってはいない人間である。
だからこのエッセイは戦争責任者の追及の是非というよりも、2度とこういう事態を迎えないためにどう考えるのか、という考え方である。性急な追及する側が「占領軍の尻馬」に乗っているように見えたのだろう。
しかし、彼はもう少し生きて、その後の占領政策の逆流が起きたり、レッドパージを見たときにどういうのだろうか。あるいは今日に至るまで国民レベルで戦争責任が明らかになっていない事態、天皇の責任がもうやむやにされた東京裁判、A級戦犯を総理大臣が参拝する国、あるいはそれをマスコミが容認している事態、憲法9条も改悪される時代、を見てどういうだろうか。
他のエッセイも含めて、彼は時流に乗ったり流されたりすることを最も嫌う人というふうに思う。もう少し生きていたらどういう発言をしてくれたのか、と思った。
そして芸術家は、いくら反省しても、どういう時代に何を作ったかで、審判される。それは反省してもだめということではなく、創造とはそういう審判をされるものということだ。