『12人の怒れる男たち』の運営サークルを担当して、会報係で原稿も書きました。そして芝居を見ての感想です。
台本を読んだ感想を7月4日のブログに書いていますが、芝居はそれ以上に面白かったです。
以下に感想を書きました。

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作り過ぎ
予想以上に面白い芝居でした。運営サークルを担当していて事前に台本を読んでいましたから、おそらくほぼその通りの台詞によって演じられていましたが、実際の芝居は迫力満点でした。
しかし全員が一致して裁判の証言、証拠に「合理的疑いがある」という結末は作り過ぎではないかと思いました。なぜそうしたのか、ちょっと考えました。
台本にはなく一番良かったのは、陪審員10号のあまりにもひどい差別、ヘイトスピーチに対して、彼以外のすべての陪審員が、立場や考え方の違いを超えて背を向けるという演出です。現代の日本社会に跋扈するLGBTQや外国人に対するヘイトに対する反発と受け止めました。
それ以外は台本通りの流れです。改めて芝居を見ていくとレジナルド・ローズは米国社会の差別構造に強い怒りを持っていたと思います。ですから「怒れる男」はローズ自身です。
怒りながら、それでも彼は米国の民主主義は前進できると思っていました。それはこの芝居の設定を、芝居を書いた54年の数年後の1950年代後半に設定しているからです。
合理的な疑い
芝居の流れを追ってみます。
12人の陪審員の11人が「少年は有罪」でしたが、一人だけ「無罪」を言いました。
主人公と言える陪審員8号は、最初から「この裁判はおかしい」と思っていました。陪審員会議の前に、唯一の物証であるナイフのものと同一のナイフを購入して「容易に手に入るナイフ」と検察の主張を覆します。
そしてここから陪審員達が「少年は有罪」と思う証言、証拠に次々に疑義を言い立てます。
最後には「少年が殺すところを見た」という女性の直接的な証言にも「合理的な疑い」があることを全員に認めさせて、とうとう12人全員が無罪に意見を変えることで幕となりました。
裁判全体がおかしい
意見の不一致で裁判のやり直しをするのではなく「無罪」で一致させたのはなぜかと考えました。
多様な階層の白人男性を出し、意見の相違も見せながら、あえて「つくり過ぎ」と思わせる展開です。
それはこの裁判自体がおかしいと告発する芝居だからです。検察、裁判官、弁護士、証人たち全てが「少年の有罪」に向けて動く「茶番」という意味です。陪審員の全員を白人の男にしたのもその意図を感じます。
また少年が犯人とする証言も、証人それぞれが差別され迫害されている人間で、検察の意向に沿っているとまで指摘しました。
これは、はっきりと米国議会の非米活動委員会「赤狩り」を意識していると思いました。1940年代の終わりから50年代初めにかけての「狂気」です。
多くの人々が強制的に議会に呼び出されます。彼らはいい加減、あるいは強制的密告的な証拠証言を並べ立てられて、社会的に追放されました。
台本の流れから「不良少年に対する不当な裁判」以上の、その当時の米国社会に対する怒りを感じました。
そして芝居は、それに沿いながら、現代日本を意識した不当無法なヘイトスピーチを批判しているように感じました。いい芝居でした。

















