『ゴヤの名画と優しい泥棒』『戦争と女の顔』『リフレクション』三本が7月の残りです。
『ゴヤの名画と優しい泥棒』
なんとなくゴヤに係わる人々を描く映画かな、ヘレン・ミレンも出ているし、と思って見に行ったのですが、コメディタッチのゴヤの名画を盗んだ人々の映画でした。まったく予想と違いましたが、結構面白くみました。
これは実話に基づくそうですが「事実は小説よりも奇なり」というものです。
1961年北イングランドの地方都市ニューカッスルに住む60歳の老人(現在の日本ではそうでもないが、すっとぼけた老人の感じです)が、博物館からゴヤの名画「ウェリントン卿」を盗み出した事に対する裁判の場面から始まります。
盗み出し、そして返却していました。奇妙なのは盗み出したことは認めて、それが有罪か無罪かを争うのです。
そして映画は、その経緯と被告人の考え方、行動を映し出しました。
彼は弱者の立場や正義を貫こうとします。かなりの変人で、勤務先でもすぐに喧嘩して長続きしません。イギリスの公営放送の受信料を貧乏人は無償にしろと闘っていました。
ちょっと困りものの男で、妻や子は手を焼いています。ですがいい男で、愛されるべき快男児でした。
『戦争と女の顔』
ノーベル賞作家のデビュー作のノンフィクション『戦争は女の顔をしていない/スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ 』を読んだ映画監督のカンテミール・バラーゴフが、この本を原案としてつくった映画です。
西神ニュータウン9条の会HP8月号の「憲法と映画(68)」で書きましたので、再掲しておきます。
※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※
1945年、第2次世界大戦が終わった直後のレニングラード(現サンクト・ペテルブルグ)に暮らす二人の女性を描きました。
戦争中は前線の対空砲手であったイーヤは軍病院で看護婦として働いていました。戦友のマーシャから託された子どもと二人暮らしです。しかし心身に戦争の後遺症が強く残り、発作で子供を死なせてしまいます。
マーシャも軍隊から帰ってきてイーヤと一緒に働き始めました。奇妙なことに、彼女は子どもの死に怒りも悲しみも表しません。
病院で突然倒れたマーシャは、その時に子どもを産めない体だと判明します。そして マーシャはイーヤに「私の子どもを産め」と命令しました。
病院では、全身麻痺で生きる希望をなくした兵士が安楽死を望み、院長がイーヤに頼むシーンが出てきます。これが何度もあったことも示唆されます。
マーシャはそれをネタに院長を脅し、イーヤとの性交を強要しました。イーヤは処女のようです。
マーシャのもとに若い男が訪ねてくるようになり、「結婚してほしい」と彼の実家に連れて行きました。
イーヤとマーシャの関係は非常に近しいけれども、楽しくはありません。二人とも表情と感情の起伏が乏しく、そして時折、鼻血を出して倒れたりします。心身ともに崩壊している感じです。
いったいどうなるのかと見ていましたが、ラストでは二人はともに暮らしていく予感で終わりました。
これは兵士や看護婦として従軍した500人の女性を取材して書かれたノンフィクション「戦争は女の顔をしていない」を原案に作られました。
ソ連は戦勝国ですが、ナチスドイツとの戦いで2000万人を超える戦死者を出します。(日本300万人、中国、アジア諸国2000万人)国土の荒廃もありますが、生き残った人々の心身に、どれほどの傷が残ったかを描いています。
戦争や戦闘シーンは一切出てきませんが、その過酷さを想像させます。
『リフレクション』
ロシアのウクライナ侵攻を描いた映画ですが、現在ではなく2014年のクリミア半島をロシアが略奪した戦争を描いています。製作は2021年となっていますから、現在の侵略戦争が始まる前です。
ウクライナの外科医セルヒーは従軍して、ロシア軍の捕虜となり、すさまじい虐待、拷問を受けます。しかし捕虜交換によって何とか帰国するという話でした。
戦場で殺し合うだけでなく、戦争は人間の理性をすべて奪い取り、敵国人(本来、ロシア人とウクライナ人は近しい関係だが)は破壊と略奪の対象としてしかみない、と描きました。
彼は離婚していて、別れた妻とも、彼女が再婚した相手とも付き合いがあるという、穏やかな感じです。妻の元にいる子どもが生きがいです。
帰国後の彼は、深い心の傷から、なかなか立ち直ることが出来ません。
これは、現在のウクライナ侵略が始まる前に世界に届けるべきでした。ロシアのクリミア「略奪」を世界が認めたことが現在の情勢を招いたと思います。他国の武力で侵略し領土を奪うことは容認してはなりません。
断固たる国際世論を巻き起こすべきでした。
戦争の残酷さ、とりわけ侵略する軍隊は残酷で、これまでも多くの映画が描いています。改めてそれを感じます。