年末から年始のかけて新聞の整理をした。半年以上も読みっぱなしにし、気になる記事を切抜きしようとしていたものだ。いつもいつも「早く古紙再生に出せ」といわれているが、時間がないことを理由に放っている。
何とかきれいにしないといけないから、年賀状を書いた後から取り掛かって、何とかできた。半年分をいっぺんに読んだ気分だ。
気ままに切り抜いて、記事が山盛りで来た。それらをすべてスクラップにするわけではない。もう一度読み返すというだけだ。
職場でも同様に全国紙4紙(朝日、毎日、読売、日経)を切り抜いていた。積み上げた書類の半分がそれだ。映画の関係は映画サークルのファイルに綴じるようにしている。その残りで主に経済、政治、労働問題、地方制度などだ。年末の整理でほとんど捨てた。
家では神戸新聞と赤旗だが、切り抜くのはほとんど赤旗の連載記事だ。とりわけ海外情勢は貴重だ。中南米やアジア、アフリカのまとまった記事があるのはこの新聞の最大の長所だ。
というわけで、色々な記事の見出しを読んで半年分の情勢を思い出した。今日はその中から、昨年逝かれた人々の墓碑銘を見て考えたことを書く。
井上ひさし
年末にNHKが井上ひさし、森毅、榊莫山、立松和平各氏を偲び短い活躍の譜を放映していた。世の中に対する影響力は井上ひさし氏が飛び抜けて大きいが、それぞれの偉大な魂が紹介されていたように思う。
井上さんは演劇、映画、小説での活躍だけではなく「九条の会」など政治の問題にもはっきりとした意見を表明した。その功績の偉大さゆえに「中立」を装うマスコミも彼を排除できない(しかしNHKは巧妙に九条にかかわる発言は紹介しなかった)。あるいは保守の立場を明らかにしている人も彼を評価している。山崎正和氏が弔文を書いていた(中身は何を言っているのかよくわからない)のには驚いた。
私自身は「言葉の力を信じた巨星」という評価に一番惹かれる。だから「井上ひさし全選評」を買った。しかし彼の本を読み込んだ、ということはない。あまり持っていないし、図書館でも集中的に借りてということはない。リストを見ながら思い出すと「腹鼓記」「馬喰八十八伝」「家庭口論」「私家版日本語文法」「コメの話」「新日本共産党宣言」ぐらいしかない。
テレビ、映画、芝居はもっと少ない。「ひょっこりひょうたん島」「11匹の猫」「兄おとうと」「父と暮らせば」「キネマの天地」。
直接講演を聞いたのは、20年以上前に横浜であった自治体学校の記念講演である。講演は出席する自信がないので断っているといっていた。このときは主催者が家まで迎えに行ってつれてきたという。
昨年の映画大学で山田洋次は「キネマの天地」の共同脚本でのエピソードを紹介している。彼は一緒にかけないので、書かれた脚本を読んで、それが世界の戯曲の中でどれのパターンにあっているか紹介するといった。それほど本を読み、記憶していたという。
茂山千之丞、鈴木俊一、大森実、坂田栄男、佐藤慶、小林桂樹、星野哲郎、南方英二、正司玲児
映画関係者なら当然、川本喜八郎氏が出てくるのだが、神戸新聞の墓碑銘から落ちている。
標記の人々は私がファンだった人々で、鈴木俊一氏は元都知事でちょっと違うのだが、地方自治の雄と思っている。大森実氏は彼の「戦後秘史」を読んで、初めて現代日本を知った。南方、正司は上方お笑い界の重鎮だ。カシラのおかしさは人柄だったのか。敏江玲児のドツキ漫才は批判もあったが、体を張る必死さが面白かった。もちろん話芸でもよかった。
佐藤、小林は好対照のような役柄をやった役者だ。ともに存在感がある。
星野哲郎さんの作品はすばらしい。彼の人生が挫折から始まったのは知らなかったが、その作品の軌跡を見ると思想が如実に出ているし同時に言葉の操り方が見事だ。「みだれ髪」の「髪の乱れに手をやれば、赤い蹴出しが風に舞う」は映像と女の気持ちが浮かび上がる。そして「兄弟舟」の「波の谷間に命の花がふたつ並んで咲いている」の厳しい叙情はどうだ。「雪椿」の「やさしさとかいしょのなさが、裏と表についている」も大好きだし、もちろん「男はつらいよ」の主題歌もいい。「ドブに落ちても根のある奴はいつかは蓮の花と咲く」にはげまされる。
坂田さんは、もちろん囲碁を知ってからだから、かなり高齢の時期だ。NHK杯で見たしのぎの芸は碁の極致を見たようだ。趙治勲の強引さではなく風に柳の強さを感じた。
最後に千之丞さん。彼の声のよさは誰もが言う。文化ホールの名人会で千作さんと競演を見ていて、それはそう思う。しかも一方が人間国宝で、この人が無冠であることの偉大さも感じていた。その人が神戸市役所センター合唱団の舞台に出たことも感動ものだ。
気になった人の気になった部分を書いていても結構長くなった。