11月9日の夜から東北に行きました。夜行バスで仙台まで。そこからレンタカーで太平洋岸を走れるだけ走って、大船渡まで行きました。そこにいたるまで、海辺の低地はすべてなくなっていました。狭いところは狭いなりに、広いところははるか山の麓まで、すべてなくなっています。
石ノ森章太郎の漫画館もしまっていました。
女川町の市街地はすべて流され、海岸べりに瓦礫がつんであります。
北上川は雄大な河川でした。その両岸は水田であったと思える低湿地です。すべて海水に覆われたと思います
南三陸町も流されています。鉄筋コンクリートの建物だけが残骸を残しています。
陸前高田も、大船渡も同様です。高台にある家だけが残っています。
気仙沼の市街地には、津波に押し上げられた大きな船が、まだ置いてありました。
被災地はようやく瓦礫の処理が大方済んだという段階です。元の生活を取り戻すまでには、大変です。
仙台の市街地は、震災の影響はほとんど感じられません。繁華街は華やかです。
しかし南の若林地区に行くと津波にすべてさらわれていました。海岸にあった幅一キロ長さ数キロにわたる海岸防災林が根こそぎ波にさらわれていました。水田は海水に浸かり、住宅地もまったく残っていません。
わずかに、荒浜小学校だけが残っています。ここの屋上で小学生たちが助かりました。
そして海岸公園の冒険広場が標高15mあってここだけが津波の中で残り、ここに上がった5人が助かりました。
海岸公園は瓦礫置き場になっていました。不燃ごみ、車、木材、可燃ごみなど分類されながら延々と瓦礫が続いています。市内全域で135万トン(3年分に相当)といわれています。一番端のタワーがかすんで見えます。
はるか向こうに市街地の摩天楼が見えました。
走行距離は400kmでした。
そうそう、今回のメインは自治労大都市共闘会議建設部会で阪神淡路大震災の震災復興都市計画事業を報告することでした。それは無事に終わりました。お土産に牛タンをもらいました。