2024年1月に見た映画

『枯れ葉』『ニューヨーク・オールド・アパートメント』『香港の流れ者たち』『モロッコ、彼女たちの朝』『ガザ・サーフ・クラブ』5本でした。学校が休みの時にあまり見ることが出来ませんでした。体調を崩したためでした。

 『枯れ葉』が良かったですね。

『枯れ葉』

 アキ・カオリスマキ監督「らしい」映画でした。ほっこりとした男女の愛情物語です。

 ヘルシンキの街でしょうか、中年も過ぎた男と女が出会って、なんとなく惹かれ合うけれども、最初はすれ違いがあって、そしてやっと会えたら「酒飲みは嫌い」とか言って喧嘩別れします。

 男は工場の労働者、独身寮暮らし、女はス-パ-マ―ケットの店員という、どちらかと言えば貧しい二人です。しかも二人とも首にされるという不運が見舞います。でも北欧の国なので何とかなる感じで、あまり深刻ではありません。

 そして二人はまた再会し、お互いを必要とするという、心温まる映画でした。

 小さな元町映画館ですがいっぱいでした。

『ニューヨーク・オールド・アパートメント』

 ニューヨークの老朽化したアパートに住むペルーからの不法移民の家族、母と中学生ぐらいの双子の息子たちの奇妙な日常が描かれます。

 なぜ米国に来たのか説明はありません。人並みの生活がしたい、貧しさからの脱出であると思います。しかし米国は彼らを気持ちよく受け入れてくれません。

 市民権もなく、存在していないように扱われていると、彼ら自身が常に思っています。

 彼らが働いているのは飲食店で、日雇いみたいなものです。母は美人で客受けもよく、店に来る作家という米国の男に誘われてます。

 双子は語学学校に通っていて、そこの生徒である、東欧からきたすごい美人に恋をします。

 母は、作家という客と仲良くなって飲食のデリバリーの店を開きますが、それもうまくいかない、という話です。

 面白く作っていますが、気持ち良く終わる映画ではありませんでした。 

 故郷を捨てて米国のような国にやってくる彼らの心中には何があるのか、考えてみたいと思わせてくれました。

 

『香港の流れ者たち』

 香港のホームレスの人々を描きます。日本の同様の人々とよく似ています。

 ある日、ホームレスを一掃する行政機関がやってきて、高速道路の高架下にあるホームレス達のテントを一掃しました。

それを不当不法としてホームレス達が、賠償と謝罪を求めて裁判を起こします。

 中国でそんなことが出来るのかと、はてなと考えますが、実話に基づいているそうです。色々な事情、人生を抱えたホームレスを描いていて、それがいいと思います。

 

『モロッコ、彼女たちの朝』

市民映画劇場1月例会です。かなり厳しいイスラム社会でした。西神ニュータウン9条の会HPに書いたものを張り付けておきます。

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世界を変える一歩

 原題は「アダム」です。キリスト教ユダヤ教イスラム教に共通する「最初の人間」の名前で、この映画ではとても深い意味を持っています。

 映画は 臨月の大きなおなかを抱えた女性サミアが、仕事と寝泊まりする場所を探して街をさすらっているシーンから始まりました。美容師だったようですが、美容院で断られ、普通の民家を訪ねて、家政婦として働くといいますが断られ続けます。

 夜になって、どうしようもなく街の片隅で荷物を抱えてうずくまっています。そこへ、最初は断っていたパン屋の女主人アブラが「うちで寝ろ」と連れ帰ります。

 アブラは夫に先立たれ、一人で娘を育てていました。パン屋でサミアはアブラの親戚ということで働きます。店は活気づき、娘にもアブラにも打ち解けます。

 そしてサミアは赤ん坊を産みました。しかし結婚していない彼女はこの子は養子に出すと決めています。だから抱くこともせず授乳も拒みます。名前も付けようとしません。

 モロッコでは婚外性交渉や中絶は犯罪で、婚外子を生んだ母子は辛い人生を送らねばならないのです。

 映画は泣き続ける赤ん坊と膝を抱えるサミアを交互に撮り、やがて彼女は赤ん坊に乳房を含ませます。その心情の変化を見事に表現しました。

名前はアダム

 サミアは赤ん坊をすぐに施設に持って行き、自分は故郷に帰って新しい人生を歩むつもりでした。それが二人にとっての幸せだと思い込んでいました。しかし「アダム」という名前を付け、そして翌朝早くアブラたちが寝ている間に赤ん坊を抱えて家を出ました。

 映画はそこで終わります。彼女はどこに行くのか、何を考えてるのか示しませんでした。

 アブラと一緒に暮らし、困難を乗り越えればいいのに、と思います。しかしサミアにその選択をさせないモロッコの現実、私たちの思いよりもはるかに厳しいものがあると感じさせます。

 映画製作の意図「この現実を変えたい」は十分に伝わってくる映画です。イスラム社会、特に生活や政治の中にその教義を持ち込んでいる国では女性の人権は認められていません。

 どうすればいいのか、それは示さず「アダム」という名前だけ残す映画でした。

 

『ガザ・サーフ・クラブ』

ガザの沖合でサーフィンを楽しむ人々のドキュメンタリーです。

 ガザは、イスラエルによって陸上部全てを隔離壁で囲まれて出入りできないようになっていますが、海も海岸線は空いているものの、沖合も閉ざされています。漁も自由に出来ません。天井のない監獄です。

 まさに国際条約に反する軍事占領が50年も続いています。しかも圧倒的な軍事力でイスラエル空爆とミサイル攻撃、国境線からの機銃掃射、地上侵攻もあるという酷さです。

 そんな状況でサーフィンを楽しむ人々がいるのです。未来が見えないガザの若者たちのわずかな息抜きだと感じました。