2024年2月に見た映画

『福田村事件』『アンダーカレント』『梟―フクロウ』『草原に抱かれて』『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。』『落下の解剖学』6本でした。もう少し見たかったのですが、時間が取れませんでした。

 今回は『福田村事件』と『あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら』の長い映画評を書いていますから、2回に分けます。

『福田村事件』

 再度見ました。1月の能登半島地震をみて、阪神淡路大震災の体験を思い起こし、映画『福田村事件』を連想したからです。映画サークルの機関誌に映画評を書きましたので、ここに再掲します。ちょっと長いです。

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何を語り継ぐのか

 一月に能登半島の先端で大地震があり、大きな被害がありました。そのためか阪神淡路大震災一.一七の取り上げ方が大きくなったように感じました。しかし報道番組、テレビの映像、人々の反応等を見ていて「何かおかしい」と思いました。

 それは日本が日常的に巨大地震がどこであってもおかしくない地震大国であり、実際に、阪神淡路大震災以降、震度6以上が定期的に襲っている、にもかかわらず、その認識がない「突然の大震災」報道のように思ったのです。

 大災害が直撃するのは社会的に最も弱い層であることは阪神淡路大震災で見てきました。同じことが生じて、対応が後手です。能登半島は過疎で、高齢者の比率が高い地域で、しかも行き止まり、志賀原発(現在は停止中)も抱えていますが、そこの大災害を国も県も想定していなかったことが明らかです。

 なぜだろうと考えた時に映画『福田村事件』を思い起こしました。民主主義を標榜する私たちの国は、今でも大災害による被害の本質を隠蔽し「想定外」と平気で言います。

 関東大震災朝鮮人等の大虐殺の「公的な資料がない」と言い、各地に建てられている東日本大震災の記念館では、福島原発の問題は触れずに済ましています。

 だから『福田村事件』をもう一度見て、関東大震災の「何を」私たちは語りつがねばならないかを考えました。

福田村の出来事

 在郷軍人会を先頭に女性も含めた村人たちが、讃岐からやってきた行商人たちを虐殺するシーンが悲惨でした。かなり抑えた映像表現となっていますが、大勢の男たちが、よってたかって女子供までも、追いかけて惨殺するのは辟易します。

 でも単に「殺し」を見せるだけではありません。

 行商人たちのボスの頭に、最初に鎌を打ち込むのは赤ん坊を背負った若い母親です。彼女の夫が東京に出稼ぎに行っていて「朝鮮人に殺された」という噂を吹き込まれた、という前振りをし、虐殺が終わった後に、その夫が帰ってくるという念の入れようでした。

 在郷軍人会の男たちは、逃げるだけの男を追い掛け撃ち殺します。「子供だけは助けて」と哀願する母や妊婦、赤ん坊も、刀や槍で殺します。

 そして「彼らは朝鮮人ではない」という知らせを聞くと、支部長は「お上が村を守れと言った」ではないか、責任転嫁をしました。

 東京から離れた片田舎での出来事です。

虐殺の背景

 映画の出だしは、シベリヤ出兵です。日本の危機ではなくロシア革命に乗じた侵略戦争に駆り出されて戦死した夫の遺骨を抱えて帰る妻と、植民地の朝鮮から帰ってきたインテリ風の夫婦の出会いでした。そして福田村で待ち受けていたのは、大正デモクラシーの洗礼を受けた村長で、彼は「村を変えていこう」と言います。

 讃岐の行商人たちは被差別部落出身ですが、福田村の人は知りません。虐殺の場面で彼らはお経とともに、水平社宣言を唱えました。

 震災後の東京都下では、官憲が社会主義者を逮捕し虐殺します。彼らが「朝鮮人が放火や暴力行為をしている」とデマを広げ煽っていたと描きました。それを自警団と多くの日本人が信じ込んで、朝鮮人と見れば無差別に虐殺しました。

 関東大震災の直後の惨状だけではなく、この時代の社会を特徴付ける状況の様々を描く映画です。

現代に問いかける

 この虐殺を目の当たりにした新聞記者は、自分が「デマをデマと書かなかったからだ」と言いました。

 この映画の焦点はここだと思いました。森監督は、これまでも現代のマスメディアが支配層に忖度して事実の報道をしないことに危惧しています。東京新聞の望月衣塑子記者を追った『i-新聞記者ドキュメント-』でもそれを描きました。

 デマを黙認し、事実を報じないマスメディアは、社会の本質を見えなくさせるだけでなく、殺人に加担するとまで言っているようです。

『アンダーカレント』

 突然行方不明になった夫は、どこへ行ったのか。ミステリー仕立てですが、ちょっと違うなあという感想を持ちました。

 父から銭湯を受け継いだ、かなえ(真木よう子)は、大学の同級生(永山永太)と結婚して、夫婦で経営していましたが、夫が突然、理由もなく失踪します。

 かなえは探偵(リリ-・フランキ-)に夫を探してもらうように依頼し、銭湯を続けるために臨時の従業員、堀(井浦新)を雇います。

 探偵の調査から夫の以前の仕事、家族関係などが全く嘘だということが分かります。そして堀は、かなえが幼女の頃に、犯罪に巻き込まれて死んだ幼馴染の兄だということも明らかになります。その事件にかなえは自責の念を持っていました。

 アンダーカレントは「潜流」という表面とは違う流れという意味です。それぞれの人間は、表面とは違う面、いわば秘密を持っているということでしょう。そんなことは当たり前と思いますが、この映画は、それを何か重大なことのように描きます。

 普通のミステリーでは、それぞれの秘密のために切羽詰まった状況になり犯罪が起きるのですが、この映画では警察沙汰になる事件はありません。

 ラストは、かなえと堀がお互いの秘密を明らかにして、一緒に暮らしていきそうな雰囲気で終わります。

 素晴らしい俳優たちが出ていますから、何か意味があるのかと思うシーンもありますが、つまらない映画だと思いました。 

『梟―フクロウ』

 韓国の時代物。14世紀から19世紀まで続いた李氏朝鮮王朝にあった謎の事件を取り上げた映画です。

 明治以後の日本と朝鮮が関係する時代については多少、勉強してきましたが、李朝

歴史は全く知らないし、彼らの社会体制、風俗も知りません。これを見て、この時代の朝鮮社会を知りたいと思いました。

 映画は、『天命の城』で描かれた「丙子の乱」(163637年、清が朝鮮を侵略し、屈服させた戦争)の後、人質に取られていた世子が8年後に帰って来た、その時の王朝内の権力争いと、それに巻き込まれた盲目の鍼灸師を描きます。

 天才的な鍼灸師ギョンスは、その腕を見込まれて王宮に雇われ、王の治療さえするようになります。彼は盲目でしたが、暗闇では逆にうすぼんやりと見える、という秘密を抱えていました。

 ある時に世子が殺されるのを見てしまいました。それを証言すると秘密がばれるし、世子の妻には本当のことを教えていたいしという葛藤で悩みます。しかし権力争いは、彼のレベルでは済まない争いへと発展していきました。

 面白い映画でした。李朝の全体像を知っておきたいですね。