「大鹿村騒動記」「黄色い星の子どもたち」「小川の辺」

 面白かった順番に話をすると、まず大鹿村騒動記』だ。原田芳雄を筆頭に芸達者が勢ぞろいしている。昔あったヤクザ映画のごとき、中堅スターオンパレードの見ていて疲れるようなものではない、ほのぼのとやわらかく、それでいて存在感のある、ゆったりしたそんな人々だ。田舎ものを演じるのは難しい。実際にこの村の多数は百姓だろうが、映画に出てくる人で専業農家は少ない。何かしか商売をやっている。しかし決してしょぼくれていない、現代の田舎を感じさせる。


 長野県下伊那郡大鹿村南アルプスの村だ。最も美しい村という看板を上げているが、そのスケール感は映画からは感じなかった。

 でもこんな感じの村。まだバスが通っているのか、と感心した。
 話は、300年続く大鹿歌舞伎という村の奉納芝居を中心に、原田芳雄と、駆け落ちした妻・大楠道代、その相手で親友の岸辺一徳が18年ぶりに帰ってくる、という三角関係が回っている。
 出てくる人々すべてが自分の人生を生きている、そのような味を出しているのがいい。
 それから小川の辺だ。これは主演男優・東紀之がいい。

 藤沢周平の原作だから、そつなくまとまっている。主人公の剣の達人である戌井朔之助は、主命によって、親友で妹の夫である佐久間森衛を撃つ。親友の関係、兄妹の関係、そこへ戌井家の若党の思いが絡んで、話は思わぬ方向にいく。
 時代劇映画のセオリーとして、主命は絶対のものとして扱いながらも、封建的制約の中で、それぞれが懸命に生きる。藤沢文学の真髄のような映画であった。
 『黄色い星の子どもたち』も悪い映画ではない。ナチス・ドイツ占領化でおきた、ユダヤ人虐殺の事件を子どもに焦点を当てて作った映画だ。、今、この時代に何を見せようとしたのか、ちょっとわからなかった。いつの時代でも原爆や戦争、ユダヤ人600万人の虐殺等、忘れてはならないことだが、この映画の新しさとはなんだろう。
 ビシー政権の下で、フランスがユダヤ人絶滅に手を貸したことをはっきりと認めたことだろうか。その尖兵となった軍人、警察の現場の苦しみは描いた。しかし、その式を採った連中はどこへ行ったか、までは言わない。
 その辺りが不満だ。彼らは、戦後、逃げおおせたのだろうか。日本の戦争犯罪者、権力の手先となって人々を苦しめた多くが、戦後の一時は身を潜めるも、政財界に返り咲いている。それと比べてどうだろう。