『明かりを灯す人』

 8日にKAVCで見ました。なかなか面白い映画です。
 キリギスというかつてのソ連を構成した国の田舎の村を舞台にしながら、最近の5年ぐらいの村の変化を描きます。そこには、今、世界中で起こっているような、貧困の問題や経済と開発、故郷を守ること、それに応えられない政治、なによりも人はどうやって生きていくのか、という素朴な問いかけが込められています。

これはコクボルという伝統的騎馬ゲーム

テントで、中国の投資家を接待するときの余興です。この写真よりももっと酷いことがあって、主人公の「明かり屋さん」は怒る。

 キルギス全体では政治を変えたという国民の怒りが燃えています。
簡単な紹介
 貧しい田舎の村では、電気は来ているけれども料金を払えないがために電気を利用できない人がいた。それを村の電気工「明かり屋さん」が勝手に工事をして引き込んでいた。彼は村人のために、村全体が豊かになることを願って働いていた。そんな彼の目を通して、村で何がおきているかを描いていく。
 それは、日本の田舎ではないからわかりにくいことでもあるが、じっくりと見つめると、人々の暮らしぶりや考え方は、日本と中央アジアのこの国とで、そんなに変わっていないことに気づく。
 「明かり屋さん」は警察に引っ立てられるがすぐに政権が変わって釈放される。大きな政治的変化が起きていた。
 年老いた村長は、村人が貧しくなっていることを嘆く。出稼ぎをしなくてはならないことや、出て行った人々が戻ってこないことは、村全体を深刻な状況に追い込んでいる。
 そんな時に、都会から国会議員に立候補するためにこの村を利用しようという男がやってくる。彼は見るからに怪しい。しかし、この村をよくするために、中国の資本家を招き、この地に投資をさせようと、色々やっている。「明かり屋さん」の夢、村のはずれの警告に風車を一杯建設して、村の電力を賄うということにも「協力」しようと言う。
 村を良くしたい、村はよくなると宣伝する。もちろん一番最初によくなるのは、この男のなのだが、しかし、どうすれば村が良くなるか、誰もわからない状態だ。「守る」だけではだめだと思っている。

「明かり屋さん」は、このように村の家を回っている。

明かり屋さんの家族、奥さんと4人の娘がいる。彼はどうしても男の子がほしい。

「明かりさん」とその親友、彼に、自分の奥さんとセックスして男の子を作ってくれとまで頼んだりする。親友は後に村長になり、仲違いをする。
わが村は世界に通じている
 世界中がつながっているのは、もはや誰もが実感していると思います。いろいろな情報もEメールも国境を越えて、世界中を飛び回っています。(その9割が迷惑メールだそうですが)
 グローバリズムはもはや後戻りは出来ません。遠い国の災害も、国の中央の政変も村の生活に影響を与えています。のんびりとした、文明から取り残されたように見える村ですが、確実に変化しています。
 それはこの映画で、高い木に上って降りられない男の子が、迎えに来た「明かり屋さん」に「山の向こうの世界を見てみたかった」という台詞をはくエピソードとして語られます。
 人々の好奇心はとめようがない、電気だって外からやってきたと暗示しています。それでも風車を作るというラストシーンが、この映画が見つめる未来であるように思いました。