8月30日31日に神戸演劇鑑賞会が劇団昴「アルジャーノンに花束を」を上演します。その運営サークルとして会報を担当しています。最初に台本を読んで意見交換をしました。
そして大雑把に感じたことを、それぞれに書いて、それをもとに会報原稿を作っています。
私は以下の文章を書きました。
会報はこれを元に大幅に圧縮しました。
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台本『アルジャーノンに花束を』読んで
人間とはなにか
初めて読んだのは40年前20代半ばです。大きなショックを受けました。感動ではありません。
思春期青春時代も過ぎて、出口の見つからない人生論、人間とは何か自分は誰か何処からきて何処へ行くのか、そういう悩みを整理して、現実に向き合うようになる年頃です。社会人として、慌ただしい日常を送っていた時期です。
これまで読書の主流はSFで、未来社会、異次元宇宙、タイムトラベル、超能力と怪物など日常生活とかけ離れた世界を楽しんでいました。そこで人類を突き放した目で見、異星人等を空想していました。
そんなときにこれを読んで人間の本質、人格の源泉はどこにあるのか、を考えました。そして知恵遅れ、白痴、精神薄弱と言われる知的障がい者に対する自身の差別意識を考えるとともに人権とはなにかを考えました。
生物としてよりも社会的な存在としての人間が大事だと思い至りました。
知的障がい
人間は生来の性質、能力に加えて、生きてきた環境、人間関係、経験あるいは考えたこと、得た知識をもとに人格を形成します。
普通よりも知的能力が劣っているとどのような人格形成がなされるのか、そういう人は社会でどういう扱いを受けるのか、を考えました。
ちょっと昔、知的障がい者の施設を訪れた石原慎太郎元都知事は、「彼らは何を考えているのか、感情はあるのか」といいました。その言葉に強い差別観を感じます。
かつて旧優生保護法によって障がい者に対する強制不妊手術が行われていました。裁判所は違憲違法と断じましたが、その一方で国の賠償責任を免じる判決を出しています。
それは社会全体として、差別による重大な人権侵害があったにもかかわらず、それはやむを得なかった、と言ったのです。
自分を知り過去を知る
『アルジャーノンに花束を』の主人公チャーリイ・ゴードンは「頭がよくなる」手術を受けたことで、自分自身が知的障がい者であることを知り、父母や周囲の人々からどのような扱いを受けていたかを知るようになります。
(科学的医術的に手術によって「頭がよくなる」ことが事実として可能なのか、それはこの際、関係ありません)
チャーリイの中で、父や母の声が蘇り、妹の言葉を思い出します。実際に、夫婦は離婚しています。チャーリイは家族と離れて親切なパン屋に世話をしてもらいながら一人で暮らしています。
これまで彼自身はそれについて特別悲しむことではない、と思って暮らしていました。
しかし「頭がよくなる」と新しい知識を吸収すると同時に、自分を知るようになり彼自身の過去と現在を知るようになったのです。そして悔しさと悲しみを感じます。
新たな世界
チャーリイは常人をはるかに超えるスピードで大量の知識を吸収していきます。外国語を読みこなし、難解な科学理論も理解していきます。人類が蓄積してきた世界中のことを知るようになります。新しい世界がどんどん広がり、時間も空間も広い範囲を視野の中に収めて考えることが出来るようになります。
そうすると身近な社会や世界が違って見えるし、さらに一人一人の人間、彼らの人間関係もこれまでとは違って見えます。
チャーリイは新しい世界で生きるようになりました。
その一方で彼の心の部分、感情や倫理、道徳が知的能力の爆発的な向上に追いつきません。
チャーリイの中に男女の恋愛感情が生まれます。ほのかな憧れを抱いていた養護教室のアリス・キニアン先生を意識します。
彼の新しい人生が開けました。
破滅が見える
チャーリイの前に同様の手術を受けていたネズミ(その名はアルジャーノン)がいました。最初に彼が研究室に来た時に、すでに天才ネズミになっていたアルジャーノンと迷路を解く競争をします。彼は負けました。
チャーリイとアルジャーノンは盟友として暮らします。しかししばらくすると、天才ネズミは脳の委縮を起こして元の普通のネズミにもどり、やがて死にました。
チャーリイは自分の未来をはっきりと知ります。
人間は死ぬ、その時期はわからずとも必ず死にます。その場合の恐怖感は薄いですが、彼は数日後にやってくる肉体の死ではない精神の死を知ることの恐怖を感じます。
少しずつ、今まで読めていた外国語が読めなくなり、理解できていた科学理論が分からなくなり、本を読めなくなり、字も書けなくなっていきます。考えることも音楽を味わうことも出来なくなっていきます、
本当のチャーリイ
原作に「どうか・・・よみかたもかきかたもわすれないように」があります。チラシにある「抱きしめてほしい心にまるで僕がいなかったように存在するのがつらいんだ」も同様に、彼の人格そのものが消失することを嘆くものです。
自分がどのような人生を送って来たかを知ったチャーリイは、再びそこへ帰ることの恐怖を覚えます。しかしそれを乗り越えて運命を受け入れます。
元に戻ったチャーリイには恐怖も悲しみもありません。わずかにアルジャーノンの記憶だけが残りました。
そのように平穏な心でいることが幸せなのか、何も知らずにいることが幸せなのか、自分を失って生きることの悲痛さを感じます。
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最初に書かれたのが1959年です。その当時の脳科学等の発達
脳の電気化学的反応と心、感情
知識と道徳
ロボトミー(1934年~75年)
記憶、睡眠、無意識の研究
現在では分子レベルから脳の活動の解明