8月6日の神戸新聞社説

世論誘導に違和感
 久しぶりに新聞について書く。この間に、東日本大震災原発に関する、いろいろな報道、事件があったけれども頭の中が整理できなくて、なかなか書くことが出来なかった。しかし6日の社説や原爆式典の記事、7日の新聞を読みながら、何かおかしいと、ちょっと考えてみた。
 それは核兵器の緊急的な廃絶と「原子力の平和利用」という問題だ。
 神戸新聞の社説は、一般的常識的な意見だと考えていいと思う。国民の意識からあまりはなれず、その歩むべき方向を示しているといって良いだろう。それに対して私は違和感を持つ。
核兵器原発を同様に扱うべきか
 6日の社説は「原爆の日 『原発リスク』のない社会に」という見出しで「東日本大震災に見舞われた今年は、これまでとは違う『原爆の日』を迎える」と言う書き出しだ。
 それは被爆者も含めて核兵器廃絶を訴える運動は、原発に対しては「安全神話に組み込まれていた」という。米国が反核運動が反米運動になり左傾化することを恐れたために、原子力の平和利用を宣伝してきた。あるいは政官財(それに加担したマスコミの役割が抜けている)が一体となって「安全神話」を作って来た。それが今回の原発事故によって核兵器も「原子力の平和利用」も同様に考えるべきだということが明らかになった。だから核拡散防止条約(NPT)が、核兵器軍縮を求めるが「原子力の平和利用」を認めている姿勢を改めるべきだという。
 はっきり言って大手マスコミの底にある核抑止力論、原発擁護論が形を変えて出てきたのではないか、と疑っている。
核兵器廃絶の立場に立っていない
 どういうことかというと、核兵器廃絶の運動に対してマスコミは距離を置いてきた。原水爆禁止世界大会が分裂している状況もあり、マスコミ報道は必ず共産党系、社会党系という注釈を入れてきた。それが国民の中に、核兵器廃絶を進めようとする運動は、特定の政党の運動、政治運動であるという意識を入れてきた。
 核兵器廃絶が特定のイデオロギーではなく、人類の課題であるという立場に立ってこなかった。すべての全国紙とテレビがそうだといっても良いのではないか。
 そういう意味で、アメリカが危惧する反核運動が国民的な運動ならないように、マスコミは役割を果たしてきたと思う。その一例として自民党政府や今回の菅首相核兵器の「究極的な廃絶」を言っても、その欺瞞性を批判する報道を見たことがない。(当然、新聞「赤旗」は除く)それらと広島市長や国連事務総長の演説との違いを解説した社説も読んだことがない。
核兵器廃絶が一致する緊急課題
 そういうマスコミの姿勢の中で、反核運動の側は、国内外の政治で核兵器廃絶を緊急の課題とするように、なるべく運動を広げるために「原子力の平和利用」に対して核兵器廃絶と同列の課題、緊急的廃絶にしていない。被爆者も反核運動の活動家も、「原子力の平和利用」に対する問題意識は持っていても、それを前面に出さなかった。それは原発が立地する地域ごとの原発反対運動という形をとっていたように思う。
 私の知り合いの共産党の活動家も、核兵器廃絶には力を入れたが、一般的な反原発の運動とは距離を置いていたという。原発容認ということではなく、核兵器廃絶という一致点での運動を広げる、という大衆運動の原点をもっていた。それに加えて、私としては、暴力を容認する新左翼系の活動家が反原発運動に力を入れていた、ということも、一線を画していた。
それを実現する立場に
 フクシマ以後、反核運動核兵器廃絶も反「原子力の平和利用」も取り組むべき課題であると、明らかにしている。それは国民全体が「安全神話」を否定しており、原子力そのものから脱却する文明(核との共存ではなく核との決別)の志向が、特定の政治的なものではないことが明らかになったからだ。運動の発展としては必然であると思う。
 しかし社説の言うNPTの姿勢を「改める」こととは違う。
 国際世論はイタリアやドイツの世論のような原子力を否定する国もあるが、発展途上国など大勢は揺らいでいると思う。まず国際世論を一致させて、核兵器保有国を追い詰め、核兵器廃絶スケジュールの国際的合意を作ることが最重要課題だ。
 核兵器を持ちながら「原子力の平和利用」は人類を滅ぼすという立場に立つと思えない。
 それと核兵器はその気になればすぐにでも廃絶できるが、物理的な問題でも生活を維持する問題でも、原発はすぐには止められない。
 そういった違いを無視して、これらを同様に扱うことは、むしろ核兵器廃絶を遠くに押しやるものだ。そして核兵器廃絶という一点で国際世論が一致しない状況で「原子力の平和利用は不可能」という国際世論は作れないと思う。 
 だから社説の立場は、一見、原子力と決別するような意見に見えながら、そうではない、と思う。しかし、それは私の勝手読みで新聞社の真意ではないと信じたい。だったらもっと真剣に考えて書いてもらわないと困る。菅首相民主党自民党の欺瞞的な言説に対して、もっと的確な批判をしてもらいたい。