『イノセント・ピープル 原爆を作った男たちの65年』

演劇鑑賞会の7月例会は表記の芝居です。この例会の当番となったので、会報係りを担当しています。
それで、この芝居の台本を読んだ感想みたいなものを書きましたので、ここに載せます。
これから色々話し合いながら、会報に乗せる芝居の紹介文を作り上げます。分量は約半分になる予定です。
国際世論は核兵器廃絶へ
 「核兵器を廃絶しよう、人類と核兵器は共存できない」と言う、粘り強い日本の反戦反核運動は「核軍縮」から「核廃絶」へと国際的な反核世論を変えて来ました。二一世紀に入って国連決議が繰り返され、核拡散防止条約(NPT)検討会議でも核保有国に核兵器廃絶のロードマップを迫っています。
そしてオバマ大統領が二〇〇九年プラハで、核兵器を使用した唯一の国としての「道義的責任」を認め、核兵器のない世界をめざす、と言う演説をしています。
その一方で、広島、長崎、第五福竜丸、福島と4度の被爆体験を持つ日本でも、戦争を準備し核兵器を持つことが、戦争を防止するという「核抑止力論」に囚われる人々、原発がないと経済が成り立たないと信じ込む「核依存症」の人々は、大勢がいます。
神戸演劇鑑賞会は一昨年「樫の木坂4姉妹」昨年「夢千代日記」と被爆者の視点を持った芝居を上演してきました。今年の「イノセント・ピープル」は逆の視点を持つ人々を描く芝居です。原爆を作り、それを日本人の頭上で爆発させた側の人々、彼らは米国の支配階級に連なる人々です。
私たちが「ノーモア・ヒロシマナガサキ」と言うと「リメンバー・パールハーバー」と返ってきます。そんな彼らとどうすれば分かり合えるのでしょうか。
マンハッタン計画
原爆製造=マンハッタン計画は、ルーズベルト大統領の命令のもとに、全米の最高の頭脳と技術力、経済力を結集させて、ナチス・ドイツよりも早く原爆を開発する使命を帯びて、一九四二年から開始されます。最大時には13万人が動員されました。
科学者たちは、物理学者オッペンハイマーを責任者としてニューメキシコ州ロスアラモス研究所(約67百人)に集められました。コンピューターのない時代、名門大学、名門高校の最優秀の学生も動員して、膨大な計算等が手作業で行われました。
そしてドイツが降伏した後、一九四五年七月一六日に核爆発実験は成功します。費用は約19億ドル(現在の約230億ドル)と言われています。
米国の本質に迫る
舞台は一九四五年を起点に一九六三年、一九七六年、二〇〇三年、二〇一〇年と過去と現代が対話するように組み合わされます。これらの年代は米国の画期となる年です。
まず一九四五年は原爆が完成し、広島と長崎に落とされます。そして日本の無条件降伏です。世界61国が参戦し、地球全体が戦禍にまみれ8千万人と言われる犠牲者をだした第2次世界大戦の終戦です。
米国は、日本の降伏を早め、多くの米兵の犠牲を未然に防ぐために原爆を落としたといいます。しかし、その時の日本は、同盟国ドイツが降伏し、陸海軍は壊滅的状況です。国土は無差別爆撃により都市部は焦土化し生産活動も著しく低下していました。加えてソ連軍の参戦により降伏は時間の問題でした。
トルーマン大統領が原爆投下を命じた狙いは、日本を早期に降伏させるよりも大戦後の世界に軍事的優位を確立することです。ドイツ、日本の敗戦が見えた時期から米ソの対立が始まっていました。
一九六三年「ロスアラモス研究所二〇周年」は米国が世界最大の経済力、軍事力を持った時代です。「自由と民主主義を守る」ために、鋭く東西冷戦構造を闘い、その象徴ともいえるベトナム戦争に突っ込んでいきました。
ケネディ大統領の「あなたが祖国のために何を出来るか考えて欲しい」という有名な演説が、多くの若者を理不尽な侵略戦争へ導きました。
一方でキング牧師らにより人種差別撤廃ワシントン大行進が行われます。
一九七六年「アメリカ建国二〇〇年」は凋落が始まる時代です。70年代にドルショック、オイルショックそしてベトナム戦争からの敗戦撤退と、絶対的支配力のあった米国の経済力も軍事的にもかげりが見え始めます。それを補強するために第1回先進国首脳会議が開かれたのは一九七五年です。
二〇〇三年「ジェシカの葬式」は、米国英国が中心になって「大量破壊兵器」という虚偽で始めたイラク戦争開戦の年です。戦争が始まる直前二月十五日に、米英国の市民を含め、世界中で六百都市1千万人規模の反戦デモが展開されました。
一九八九年「ベルリンの壁」が崩壊し、東西冷戦構造に終止符が打たれます。しかし米国の戦火は途絶えることなく、21世紀に入って同時多発テロ(二〇〇一年九月十一日)とそれに続くアフガニスタン侵攻、イラク戦争へと米国は泥沼にはまり込んでいきます。
同時に、市場原理で貫かれた米国基準の新自由主義経済を押し付ける経済のグローバル化が進められた。
私たちの受け止め方
二〇一〇年「広島。シェリルの葬式」は、国連事務総長と米国政府代表者が初めて広島の平和式典に出席した年です。前年にオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞し、二〇〇八年にシュルツやキッシンジャー等、核戦略を作ってきた元米政府高官らも原水爆の危険性に向き合っています。
芝居では、原爆製造に関わった第1世代の考え方は大きくは変わりません。しかしその子孫たちは違います。戦後の65年間をリアルに見ることで、彼らの考え方は変わってきたといいます。
第1世代の5人の言動から、戦後の日本人にすり込まれてきた、米国は「自由と民主主義」の守り手で、豊かな「アメリカンドリーム」を実現する、という表看板に隠されている、人種差別と侵略戦争という米国の本質的な姿が明らかになってきます。
こういう観点で、日本人の高級官僚や政治家を描くとどうなるのだろうと考えます。A級戦犯とその子孫たちは、日中戦争アジア諸国への侵略、日米開戦をどのように見ているのか、そして戦後の平和憲法のもとでの経済発展、戦争で誰も殺していないことを、どう評価しているのか、問いただしたいと思います。
もしかしたら反省という言葉は見当たらないかもしれません。