2022年10月に読んだ本

『空襲・疎開・動員/洲脇一郎』『神戸の戦争孤児たち/白井勝彦・藤原伸夫』『「戦争孤児」を生きる/土屋敦』『空襲被害はなぜ国の責任か/矢野宏』『核と日本人/山本昭宏』

 910月は111日から始める「2022年神戸空襲と神戸港の写真展」の原稿を書くための資料を読んでいました。

『空襲・疎開・動員/洲脇一郎』『神戸の戦争孤児たち/白井勝彦・藤原伸夫』『「戦争孤児」を生きる/土屋敦』『空襲被害はなぜ国の責任か/矢野宏』がそれです。

 これらはきちんと最初から読んだわけではなく、飛び飛びに関心のある所を拾い読みしています。あるいは何度も読み返しながら、何をどう要約するかを考えました。

 今年は、いままで触れてこなかった「戦争とこども」を重点にして、それを私が担当したからです。これらを読んで初めて気づいたことが多くありました。

 戦前戦中戦後の公的な記録がきちんと整理保存されていないことです。統計も含めて結構ずさんであり、しかも民間の活動も規制しています。日本社会全体として、その時々の記録を後世まで残すという感覚を持っていないようです。

 こどもの問題は特に記録が整理されていません。戦争によって大変な犠牲を強いられたのに、彼らに対する手当は、無いに等しいと思いました。

 全国的に大規模に実施された学童疎開や学徒勤労動員もそうですが、戦争(戦災)孤児は特に悲惨です。孤児であることを隠し、思い出を語ることもできない経験をしてきたとこが分かりました。

 孤児たちに対して国、自治体は無責任であり、空襲被害を国の責任と見なさないこと等、日本は戦争責任、戦後責任の追及を曖昧にしていることがよくわかりました。

 少年兵についても、ある期の予科練の死亡率は78割になっていました。彼らの募集のために学校、教師が重要な役割を果たしています。

 今更ですが、国家の無責任さを強く感じました。

『核と日本人/山本昭宏』

 この本は2015年発行ですから2011年の東日本大震災福島原発を踏まえて書いてあります。核(核兵器原子力発電などの核利用、核開発)に焦点を当てていますが、読み方によれば日本人論です。

 2015年以降の安倍、菅、岸田政権が原発政策、核兵器禁止条約等にどのように対応してきたか、を思い浮かべながら読むといっそう面白いです。

 日本人の核に対する意識の変化、広島と長崎を体験した後に、私たち日本人は核に対してどのような思いを持ってきたのか、知識人の評論、新聞報道、世論調査、漫画、小説、映画等を通じて分析しています。

 特に漫画や映画を力を入れて取り上げているのが特徴です。

 章立ては以下のようです。

 「はじめに」があり①被爆から「平和利用」へ-占領下~1950年代②核の現実とディストピア世界-1960年代③原発の推進・定着と懐疑-1970年代④消費される核と反核1980年代⑤安定した対立構造へ-1990年代から3.11後、そして「おわりに-継承され続ける『二面的な態度』」です。

 各年代ごとにまとめています。

 私の体験から考えてみると、核エネルギーは、やはり鉄腕アトムかな。エイトマンもそうだったように思います。1960年代の子どもは核の「平和利用」を受け入れて育ちました。

 核エネルギーは未来をつくるという、支配層のイデオロギーをそのまま受け入れていました。核分裂は「ゴミ」が出てきますが、核融合はまさに太陽でありこれこそが期待されるものだと、私は思っていました。

 研究はすればいいと思いますが、今は、工学的な技術にそこまで求めないほうがいいと思っています。人類の「英知」にも限界があり、原子核より微小な空間を支配しようとするべきではないです。