島守の塔はロングランのようです。それはそれで喜ばしいのですが、この映画に対して、あまりきちんとした感想、評価が見当たらないので、私の考えを書きました。
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なぜ沖縄の人々に寄り添わないのか
邦画の戦争映画
戦後七七年となり、戦争体験者は超高齢となっていますし「戦争を知らない子供たち」も高齢者となりました。第二次世界大戦後でも戦火の絶えない地球、核戦争の脅威におびえてきた国際社会を見ると、自衛隊が「直接」に戦場に行かなかったことは、米国の「核の傘」のもとであっても平和憲法の誇るべき成果だと、私は評価しています。
しかし平和憲法のもとで戦前、戦中、戦後を通じて、日本は明治以後の周辺諸国に対する加害責任をあまり明らかにしていません。銃後の人々、無差別爆撃を受けた人々の「戦争体験」に基づく「平和主義」だと思うのです。
ドイツや欧州ではナチスドイツの蛮行を記憶にとどめようとする映画が多く作られています。日本でも上映されています。
その一方で中国や東南アジア諸国では「大東亜戦争」の実態も、日本の「過ち」を描く映画も作られ、アジア太平洋戦争の真実に迫っています。こちらは日本ではあまり輸入、上映されていません。
日本でつくられる戦争映画は『永遠の〇』ような似非は別として、多くは原爆や空襲の被害、戦時下で国民がいかに大変であったか、という映画です。朝鮮半島や中国大陸での日本軍の蛮行を描くものはほとんどありません。
だから日本の植民地政策を賛美したり「南京虐殺はない」「従軍慰安婦などいない」と思っている日本人は多くいます。高等教育を受けた人でもそうです。
面従腹背
『島守の塔』もその範疇でした。沖縄戦の悲惨さの一部は伝えるものになっていると評価しますが、全体像にはなっていません。三上智恵監督の『沖縄スパイ戦史』と合わせてみたら、いっそうよくわかる映画だと思います。
沖縄県庁の視線と庶民の視線の違いです。
神戸出身で最後の沖縄県官選知事となった島田叡と、彼と一緒に苦労した栃木県出身の沖縄県警察部長の荒井退造を中心に、沖縄戦を描いた映画です。
悪くはないし嘘もありません。しかし沖縄の人々が味わった戦争体験の悲惨さの本質が少し薄まる感じです。もっとすさまじいと、私は思いました。
三上作品を見ないと沖縄の戦争の本質が分かりません。
決して反動的な映画だというつもりはありません。しかし文科省認定映画という感じがしたのです。
それはアジア太平洋戦争末期における沖縄戦についてだけを描き、第二次世界大戦、日本が侵略を仕掛けたアジア太平洋戦争の全体像を明示していないこと、朝鮮や中国などへの蛮行が開始であり、その結末としての日本の敗戦を言わないからです。
これは映像でなくとも、その気であれば適切なナレーションで出来ることです。
さらに現在まで続く沖縄の悲劇を描かないところから、そう断言できます。
安倍元首相等の似非愛国者に忖度し、マスメディアが許容し、多くに見てもらえるような配慮かもと疑いたくなりました。
島田知事と荒井警察部長の二人の官僚に力点が置かれすぎです。
女学生を看護助手に動員したひめゆり部隊、男子中学生の鉄血勤王隊は少し描かれます。彼ら彼女たちは「生きて虜囚の辱めを受けず」「米軍は男は八つ裂き、女は犯す」「神の国」の教育を受け、それを信じていました。哀れです。
その悲惨な沖縄戦の傍らで、島田は「生きろ」と言ったと描きます。
恐らくですが、彼は牛島司令官とか陸軍幹部がいるところでは、そんなことは言っていないのでしょう。対立を避ける高級官僚の立ち回りです。
前川喜平さんは、今「面従腹背」を座右の銘と言っていますが、現在の高級官僚の重要な資質です。戦前の島田叡もそうであったように感じました。
島田叡を描くのであれば、そこに焦点を当てるべきでしょう。
沖縄戦の根本にあるのは差別に結びつく大本営の「捨て石」作戦です。島田叡はそれをどこまで自覚していたかは、映画は明示しません。でも彼の能力と立場で情報収集し、現状分析をしていればわかるはずです。
沖縄戦の悲惨さ
映画は、南西諸島を守備する陸軍32軍が沖縄に乗り込んできた時期から始まります。全島民を動員して塹壕を掘らせて沖縄本島を要塞化し、住民を戦闘要員にしました。
大本営は「国体(天皇制)を守る」で致していますが、この時期でも陸海軍の作戦は統一されず、本土決戦に備えて時間を稼ぎ連合軍を少しでも消耗させよう、あるいは一度大きな戦果を上げて講和交渉を有利にしようと、二兎を追っていました。
この映画でもちぐはぐな作戦、戦略であることが描かれます。
皇軍は沖縄県民を守るのではない、それは上層部だけではなく、前線の兵士にも伝わっていたのではないか、そう思います。
この映画でも、軍は沖縄弁を使うものはスパイとみなし、住民をガマ(沖縄県に多くある自然の洞窟)から追い出します。赤ん坊を「泣かすな」と言って、母親に殺させた事例もありました。
島田知事は軍の指示の下でも、県民の犠牲を減らそうと奮闘しています。その苦悩は大変なものと想像できました。
そして圧倒的な軍事力で攻勢をかける連合軍に対し、32軍は全県民を悲惨な戦闘へ陥れました。子どもや女性を含む県民を戦闘に巻き込む作戦を厭いません。
悲劇を大きくしたのは牛島満司令官です。彼は任務第一で、県民の命を顧みることがありません。組織的な軍は壊滅したのに「最後まで戦え」という命令を出し、自分はさっさと自決しています。この無責任を映画は追求していません。
彼の孫、牛島貞満さんも「祖父の責任は重大」といいます。
過去から現在へ
映画では一九四四年末に島田が沖縄赴任を受けた時に、家族がやめてくれと懇願した、と描きます。事実かどうかはわかりません。
すでに学徒出陣があり、決死の特攻隊も「全員志願」し、少年兵の募集強化、高齢の補充兵も召集される情勢の下です。
多くの国民は父や兄を喜んで戦場に出してはいません。でも万歳です。街の名士である島田の妻も出征兵士を送る時は「お国のために働いてください」はいったでしょう。
その同じ口で、我が夫には「やめて」は、正直であると同時に「庶民とは違う」高級官僚の妻という意識の表れです。映画は何を狙ってこのシーンを入れたのでしょうか。
それを振り切り島田は「卑怯者にはなりたくない」と沖縄に赴きます。その潔さを讃えようとしたと見えます。
この映画がダメだと、私が思う決定的なものは、歴史を俯瞰し、過去と現在の繋がりを描かないことです。香川京子が島守の塔に参拝するだけでは、戦後、沖縄が歩んだ苦難の道と現在の状況はわかりません。
「島田や荒井の遺体は不明」で終わるのではなくて、せめて彼等を含めた沖縄戦の遺骨が眠る土砂を使って辺野古基地を作っている、と言うべきです。
「歴史に学ぶ」姿勢が弱いと感じました。