全国紙の8月6日社説

 だいたい予想された範囲だが、感想を述べたい。
核廃絶を深めると
 「朝日」と「毎日」が「神戸」と同様に核兵器の廃絶だけではなく「人類は核と共存できない」という論調を明確にしている。しかし核兵器廃絶は「緊急の課題」であり、その気になれば出来る問題だといっていない。原発核兵器を同列に捕らえて「核廃絶」をいうことは、核兵器保有国に塩を送ることになる。
 「朝日」が原爆症認定に言及していることが興味深い。国は原爆症認定却下において「原爆投下後、爆心地近くに入り被爆しても、放射線と病気との因果関係が明確でないと判断された」そうだ。もう一つ「原爆投下後に降った黒い雨の指定地域を広げる」検討を行っている、という。
 これは現在の「フクシマ」に置き換えると非常によくわかる。これまで国は原爆症をなるべく狭い範囲に止めようとしてきた。しかし「フクシマ」では国民世論がそれを許さないだろう。その時「ヒロシマ」「ナガサキ」の見直しが行われることを示唆している。
3紙は原発存続
 「読売」と「産経」は原爆の日と書くこともしない。「原子力安全規制 組織一元化で信頼を取り戻せ」「原発賠償指針 被害救済を着実に前進させよ」(読売)「エネルギー政策 世界一安全な原発めざせ」(産経)と核兵器廃絶は言わないし、原発の存続を図って世論を形成しようとしている。
 産経は「フクシマ」の被害者のことはまったく考えていない。これでよく東北で売れるものだと思う。
 「日経」はちょっと複雑な書き方で「事故の教訓胸に核廃絶へ新たな誓いを」「ものが言える原子力安全庁に」という見出しをつけた。核兵器廃絶を言いながら、巧妙に「安全」な原発をめざすという考え方だ。
繰り返し本質の告白を
 原子力安全庁に対する考え方は、「毎日」「神戸」も「日経」と同様だが、「安全」な原発政策のための行政組織について色々と意見を言っている。しかし、それは私から見れば何の答えも方向性も示していない。それは政府が原発を存続させることを前提とした組織を作るのだから「核と共存できない」という考え方とすり合わせることが出来ない。
 「朝日」が新しい省庁の役割を「原発の段階的な削減に向けて、新たな機能を果たさなければならない」と明確に言っているが、そういう省庁にすれば、どんな組織にしても、官僚はその方向に進める。
 国政の根本を「原発廃絶」にすえることが本質問題であり、さらに言えば欺瞞的な核兵器廃絶(核抑止力にすがるような政府)を告発する役割をマスコミは担っている。