『孔子の教え』『聯合艦隊司令長官山本五十六』『クリスマスのその夜に』

 年末に立て続けに映画を見ました。一つずつ簡単な感想を書いていきます。
孔子の教え』
 主人公のチョウ・ユンファがかっこいいですね。


「義を見てせざるは勇なきなり」というのも孔子の教えとは知りませんでした。熱い人だったのです。しかし人は教育によって作られるという慧眼には感心しました。
 彼の言葉である論語には好きなものもあれば
 その頃、東の端の島には文明はなかったのでしょう。中国4000年はやはりすごい。
聯合艦隊司令長官山本五十六
 「太平洋戦争70年目の真実」「誰よりも開戦に反対した男がいた」とかキャッチフレーズが出ていますが、従来の日本映画の戦争観を抜けていません。東映だからやむを得ないとか、監督の非力とか、ありますが役所広司もつまらない映画に出たものです。


 この手の東映映画の例に習って「きれい」な戦争を描いています。「一枚のハガキ」と比べるのは酷ですが、それでも言うべきことはあると思います。例えばC・イースドウッド『硫黄島からの手紙』で憲兵のエピソードを挿話したようにです。山本が知らない「戦争に反対する」日本があるということです。そしてそれを弾圧した人々とその末裔が戦後日本でうようよしているというは言うべきでしょう。「真実」とか言うのなら、それぐらいは描いてもいいと思います。
 山本に心酔する若い記者が、戦前戦中を反省するのなら、戦後の混乱の時期に落ち着いていず、猛烈に反省した戦争直後の新聞社の中心に居るべきでしょう。「民主主義」に姿を変えた主筆のような人物は多くいたと思います。そこは的確に描いています。
 しかし新聞記者の多くは「大本営発表」を垂れ流したことに反省したと思います。それを例えば読売の正力松太郎のようにA級戦犯が甦ってきたと言うことを描くべきだったのです。
 それは東映映画に期待するのは無理ですが、あのわかったような「目と耳と心を開いて世界を見る」などという記者には反吐が出ます。あれこそ逆回転に追従していった新聞、国民の前に多面的な報道を放棄する現在のマスコミの姿だと思いました。
 そうそう、山本五十六本人姿ですが、私はほとんど知りません。凡将愚将説もあるようですが、この映画を見た限りでは、そのとおりかなと思います。興国の荒廃をかけた一戦に、信頼していないものにまかすとか、一度失敗した人間をその原因を問い詰めることなく、再度用いるのは、真剣味に欠ける人です。それと囲碁ではなく将棋が好きだったというのが、象徴的です。
『クリスマスのその夜に』
 これはいい映画です。北欧の映画人はヨーロッパをこのように見ているのかと思いました。クリスマスの夜の6つの男女の話をうまく組み合わせました。

今は落ちぶれてしまった、かつてはサッカーの英雄だった男は、なぜクリスマスの夜に故郷に帰りたくなったのでしょうか。運命の神さまは、最後に惚れた女と再会させてくれました。二人はしみじみと夕食を楽しみます。しかし目的を失った男を安易に立ち直らせない厳しさも現実です。

今夜も医者の仕事に精を出す男。ツリーの飾りをつけて往診に出向きます。それには妻は呆れていました。でも仕事をいいわけにする男は、家庭の重苦しさから逃げているのです。
 しかし彼は誠実です。命の誕生と出会い妻と子作りをしたいと思うのですから。

中年の不倫はお互い覚悟の上だと思うのですが、女は「不倫」を続けること、それで終わることに我慢できないのでしょうか。「二人を愛せることに気づいた」という男は馬鹿ですが、男は元々馬鹿ですから、許してくださいと、私が謝ってどうする。

黒人の少女と白人の少年が、今夜一緒に夜空の星を見るなんて。クリスマスを信じない人が居て、きっと世界は分かり合えると思った。

コソボから逃げてきた男女が森の中で子どもを生む。それを前述の医者が診るのだが、悲劇の中でも命は生まれ、それは波のようにいい影響を与える。

妻に見捨てられた男、薬に浸かっている馬鹿だが、それでも子ども逢いたくてサンタに化けてやってきた。
 そのほかにも寝たきりとなっている老妻の手を握ってすごす夫婦もいた。
 映画の最初と最後に、戦場となっている町の親子が登場します。そのエピソードは人間の愚かさと救いでした。
 これ来年の12月の例会にしたいと思いました。