『大逆事件から100年』兵庫県のつどい

 12月25日勤労会館でありました。狭い部屋にほぼ一杯、40人近い人々が集まっていました。「若い」という人はほとんどいなくて、もしかして私が最少年かもと思いましたが、きっとそんなことはないと思います。
 私が参加しようと思った動機は、友人に誘われたことが一番大きいですが、日常生活の基本的選択肢の一つに、混乱しているように見える現在を理解したいという、大それた望みを持っているからです。現在を理解するためには、現在につながる過去の出来事を理解する必要があると思っていますから、ちょっと時間を割いてみました。
 楽しみで色々学ぶというのも、それはそれでいいのですが、意識的な追求も必要です。しかし何も知らない世界には入りようがありません。そんなときに先導してくれる友人がいるというのは、ありがたいものです。
 『大逆事件』はあまり知りませんでした。幸徳秋水(この人が井上陽水につながると聞いたことがあるが、嘘か本当かは知らない)らが「天皇暗殺を企ててつかまった」と、今で言う右翼的な教科書に載っている程度でした。それが、まったくのでっち上げ、一から十まで、平気で嘘を並べあげて、それで死刑にした、ということを知ったのはこの10年ぐらい前です。
 天皇制国家の恐ろしさを知りました。「天皇」というすべてのものに優先する(例えそれが形式的で利用される存在であったとしても)モノを持つ国家は現在の日本国憲法下の国家とすべてが違う、という理解が必要です。映画『聯合艦隊司令長官 山本五十六』は、そこをすっぽりと抜かしているから、人間の彫り込みがありません。
 このようなデッチ上げができる警察、司法そして社会を知ることは、その時代の社会の頂点にあった人間を知ることです。そして、その後継者たちが大きな力を持っている現在を知ることにもなると思います。
 「無政府主義社会主義に大弾圧」のために大逆事件は用意されたものです。支配者は「日露戦争の不満、生活苦が社会主義と結びつくのを最も恐れた」という言葉に納得です。だから「社会主義は恐ろしい」というすり込みを入れたのです。
 今でも、例えば原発事故の不安や生活の切り下げに、国民が不満を持っても、それをどこに持っていけば解決できるのか、わからない状態です。支配者は、いつまでもわからない状態にするために腐心しているのでしょう。
 「ナウシカ」のオームの群れが、それだと思いますが、国民がいったん一つの方向に走り出せば行き着くところまでいくようになっています。国民がどうして多様性とバランス感覚をを失っていったのかはわかりませんが、北朝鮮のことは笑えないと、私は思っています。