『栄光のランナー』

市民映画劇場の四月例会です。映画サークルの機関誌7月号に感想を投稿しました。
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現在に通じる怒り 
 現生人類は、生物学的には一種類です。肌の色で区分する人種は、非科学で社会的要因のみで作られたものです。例会学習会「ヒトラーに勝ってアメリカに負けたアスリート」(講師:小笠原博毅)で、それは「奴隷貿易の時代に確立された」に納得です。
 欧米列強が地球上に植民地を広げていった時代、アジア、アフリカ、中南米を支配、収奪し、そこに住む人々を奴隷としました。それを合理化するために人種という考え方が「科学」を装って作られ、コーカソイド種を頂点に置くナチス等の優生学に結びついていきます。
 この映画は一九三六年ベルリン・オリンピックを山場に、天才ランナー、ジェシー・オーエンスの苦難と栄光を描きました。ですからナチスの人種差別に焦点が当てられますが、それ以上に同時代の米国の実態も描きます。
短いシークエンスですが、私は、オリンピックの後、米国での祝勝会が印象的です。会場であるホテルに入る時、主賓のオーエンスは裏口から入れと言われます。ここがこの映画の一つの肝です。
映画は、白人のドアマンを割とあっさりと「ルールに忠実な男」のように描きました。しかし彼がにやにや笑いながらバカ丁寧に、裏口を指させば、一介のホテルの使用人が、世界的な英雄ともいえるオーエンスを侮辱できる「快感」、人種差別の本質がもっと表されたと思います。
第二次世界大戦の敗戦によりナチスは歴史的に否定されます。しかし米国は超大国として君臨し続けました。公民権運動など、国内の差別を克服する運動がありましたが、米国の人種主義は社会の底流を流れ続けます。
トランプ政権のもとで、人種差別の象徴、南軍旗が大手を振ってはためいています。
もう一つの肝はレニ・リーフェンシュテールの描き方です。
彼女はヒトラーを支持しナチスに協力します。ナチス党大会『意志の勝利』を撮り、ベルリン・オリンピック『民族の祭典』も撮ります。
この映画ではジェシーの跳躍を「やらせ」で撮るシーンがありました。ヒトラーが嫌う黒人であっても、彼女はジェシーの跳躍を美しいと感じ、それを美しく撮る「芸術家」であると強調されます。
衆人環視の中でオーエンスに同じ競技者としてフェア・プレイを示したルッツ・ロングと、撮りたい映画を撮ったレニ、映画は二人の資質を明瞭には描き分けていないように思います。あの時代、ヒトラーに従うか反発するかまったく違います。それを曖昧にするのは、映画の怒りを削いでいます。